私は春に生まれました
春と聞くと、冬の寒さから解放され
暖かく、キラキラしたスタートを切る季節のイメージで好きなんだけど
私が生まれた春は、まだ寒く湘南の地域でも雪が降ったそうです
子供の頃の夜
布団に入ると母はよく昔の話をしてくれました
(私が高校生になるまで、母と私は同じ部屋の二段ベッドで寝ていました。下が母で上が私)
この時の夜は
私が生まれた寒い春の話から始まりました
エピソードのひとつはこんな内容でした
ある日、母が私のオムツを風呂場で洗っていると、私の祖母である姑が母に
そんな汚ないものは外で洗いなさいと
注意をしてきたと言うのです
『飼い犬の生理のパンツは風呂場で洗っていたくせにね』
感情を込めることなく、さらっと流すように言ってはいましたが
孫より犬なのか…という付け足した言葉に、母の悔しかった思いを感じました
おばあちゃん子だった私にしてもショックな出来事ですけれど
『洗ったオムツが凍ってね
それくらいあんたが生まれた年の春は、寒かったんだよ』
この
『寒かったんだよ』
という言葉には
母が嫁いでから感じている心情が詰まっているんだと
今なら分かります
特にこの話では
姑の、自分の娘に対する扱い方への怒り
みたいなものも含まれているんです
そんな母は
父方の親戚から、やっかみも受けたみたいです
『お義理母さんは、⭕⭕ちゃんばっかりひいきして』
と母に対して言ってこられたみたいです
そりゃあ同居してるわけですから、何かと世話をしてくれる頻度は、別居している孫たちよりは多かったでしょうね
何もかもやってもらってる
そんな思い込みで見ていたとしたら
母が日頃感じているモヤモヤなんて
想像もつかないでしょう
私も
『へぇ~、優しい叔母さんだと思っていたのに、そんな事を言う人だったんだ…』と
ちょっと見方が変わりますよね
私の母はとても穏やかな人です
日頃逆上したり、ヒステリックに怒ったりすることがありません
しかし
母が時々布団の中でする昔話は
かなり暴露的な内容が多かったと思います
それもほとんど私が関わってる内容なので
『え!?』と思ってしまう事が多かったです
母が周囲から聞かされたという内容を聞くと
『そんなこと言われてお母さ
ん可哀想だな~』と聞き終えた瞬間は思います
でも、次の瞬間
実質的に可哀想なのは私じゃない?
そんな思いが湧いてきます
まぁ、母が話して憂さ晴らしが出来たのなら、いいんですけど
寒い冬を耐えしのぐのは
実は辛いことではありません
冬はとても寒いんだという『納得』があるからです
でも
寒い春を耐えしのぐのは辛いのです
なぜなら、本当なら、春は暖かく明るい季節の『はず』だからです
気持ちの中に、『はずなのに』という背かれた感があると納得出来ないのです
そこには違和感があります
母はきっと
私が生まれた春の季節になると、当時のことを思い出していたんでしょう
母の感じた『違和感』は
結婚してからの新たな生活の中でどうなっていったのでしょう
母は寡黙だから分からない部分が多々あります
そして、寡黙だからこそ深い部分があるのだろうと思います