妹尾麗から電話がかかってきた。
妹尾と知ってためらいながら通話をオンにして、「久しぶりじゃないか」とめんどくさそうに言った。
「何が久しぶりよ、そんなことよく言えるわね。あたしがいくら会いたいって言っても会ってくれないくせに」目に見えるようだ、不服そうに口をとんがらす麗の顔。
「それで何の用だ」
「まぁ、何の用かだって、あたしとあなたの間柄なのに」
「用がなければ切るぞ」
妹尾麗は高校の同期生。高校時代から親しく交際し、卒業後も何回か会っているうちにずるずると肉体関係をもった。それからというもの妹尾は図々しくなり露骨に女房気取りな態度をとるようになった。そんな彼女にいや気がさして、最近では顔を見るのも不快を感じるようになっていた。
「そんなこと言っていいの、折角あなたにとっていいニュースを教えてあげようって思ったのに」
「なに、おれにとっていいニュースだと?」
「そうよ、気になるわね、フン、もし聞きたくなけりゃ、どうぞお切りになって」
「勿体つけるんじゃない、さっさと言えよ、そのいいニュースってやつを」
「そんなに邪険にするのなら、あたしから電話を切っちゃおうかしら」
しかたなく慇懃な口調になって言う。「頼む、教えてくれよ、いいニュースを」
「高校の同窓会のことよ」
「アホか、おまえは」一変してどなりつけてやる。「何がいいニュースだ。同窓会はな、中止になったんだぞ、この悪性インフルの影響でだ。そんなことも知らないのか」
「同窓会はね」けろりとして言う。「同窓会の代わりに同窓会の幹事が集まって話しあう会があるってこと」
「でたらめ言いやがって、そんな話はないんだよ」
同窓会の幹事のひとりだこのおれも、もちろんそんな話は聞いてはいない。
「あなたが知らないからこそ、あたしが教えてあげるって言ってんだから」
イライラしてくる。「いい加減にしろよ、そんなつまらん話」
「黙って聞きなさい、いいニュース聞きたいのならね。その話しあう会には花木さん、桐園さんが出席して、それに」鼻先でフンと笑う気配がして、「それに舞畑さん、、舞畑幾世さんも出席するんだって、フフン」
「なに、舞畑幾世さんだと」思わず突拍子もない声を上げた。
舞畑幾世は高校時代から憧れていた女性。おれにとってマドンナ的な存在だ。その気持ちは今も変わっちゃいない。
「今度新たに幹事に選ばれたの、舞畑さん。それで出席することになったってわけ」
「うそだろ、そんなおまえの作り話、聞きたくもない」
「あたしの言うこと信じられないの、バカね。そのうちあなたのところへも連絡があるはずよ。そのときあたしが言ったこと、本当だってことがわかるでしょうよ」
「そんな話、誰に吹き込まれたんだ?」
「誰に聞いたかってこと? それはひ・み・つ」
くそいまいましい女め、おれをからかうつもりか。
「もちろん、あなたは参加するわね」
「コケにするつもりか、このおれを。そんな与太話、だまされるおれじゃねえぞ。万が一 おまえの話が本当だとしてもだ、参加するつもりはないね、そんな会には」
「あら、そんなこと言っていいの。舞畑さんに会いたいくせに」
何か言いかけた。
「わかった」声を弾ませた。「その話しあいの会には京堂さんも出席するはずだから、あなたの目の前で舞畑さんと京堂さんがいちゃつくところ、フン、見ちゃいられないんでしょ」
「バカなことを言うな」怒声を浴びせてやった。ビシャン
むしゃくしゃしていた。あの妹尾の奴、おれを愚弄しやがって、今度会ったときは承知しねえぞ。いや、あんな奴とはもう2度と会いたくないな。
車を停めて降り立つ。町はずれの道暗く曲がりくねって、人気はない。ゴオッーと吹き抜けていく風、その風に追われるように歩いてくる男性マスクをつけて。体が動いた、自動人形のように目の前に男の首筋、ガキッーー
テレビをつける。ローカルニュースで奇妙な事件が発生したと伝えていた。目撃者によると、ひとりの男性が通りがかった中年の男にいきなり襲いかかり首筋に嚙みついて、そのまま逃走したという。その場に倒れた男はやがて立ち上がったが、その顔を見た目撃者は仰天した。映画で見たことのあるゾンビそっくりだったという。次の瞬間には男の顔つきは元にもどり立ち去ったという平然として。
やはりな、そう思った。こういうケースはバンバン増えていくだろう。やがては銀髪男の予言どおりーー
外へ出てみた。あのニュース報道されたが、町の様子は変わらない。人通りのとだえた道、薄闇が迫る夕日が落ちて。高齢の男性が歩いている。マスクをして肩を落としヒヨロヒヨロ、暗い影におおわれる街路灯から遠ざかって。近づいていく引き寄せられるように。立ちすくむ。前方から歩いてきた帽子をかぶった男、いきなり高齢者へ躍りかかって肩先を両手でつかむ、しわが刻まれた首筋、帽子をかぶった男の口、走って駆けて帽子男を突き飛ばした。よろけながら逃げていく帽子男。
うずくまっている高齢者、手を貸して起こしてやる。
「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。「バカだな、あの男。私なんか小銭しか持ってないのに」
「マスクですよ、マスクがいけないんですよ」と言って諭そうとした。
「マスクがいけないって、とんでもない。マスクがなければ新型悪性インフルにやられてひどい目にあうじゃないですか。とくに高齢者は重症化しやすいんだから、テレビがひつこく言ってますよ」
高齢者には何を言っても無駄かもしれない。テレビ、新聞しか見ないんだからな。
「さらにですよ、ゾンビがどうのこうって言うようになりましたよ、最近は」うんざりしたように目をしばたたいた。「嫌になっちまった、生きていくのが。あの世から迎えが来てほしいもんだ、一日も早く。迎えが来ないならーーいっそのこと私のほうから」
「ダメダメ、そんなこと言っちゃいけないよ。いくら歳をとったからって希望を失っちゃいけない。生きていればきっといいことがあるもんですよ。それに悪性インフルなんかテレビが言うほど恐ろしい病気じゃない、それからゾンビにしてもーー」
目を潤ませた高齢男性。「そうだな、いい人、あんたみたいな、いるってことがわかったんだからな、ここのところは何とか辛抱して、もうちょっと生きてみることにするか」
「それがいい」と微笑みかけ背を向けて歩き出す。ふり返ると、いつまでも手を振って見送っている、不動の姿勢で。
花木来都から電話がかかってきた。花木は高校の同期生。同窓会の幹事でもある。
同窓会の代わりに幹事が集まって話しあう会があること、その会には新幹事の舞畑幾世も出席すると話した。まさか、妹尾の言ったことが本当だったとは。あいつ誰に聞きやがったんだろ。
花木来都は幼馴染で小、中、高と同じ学校に通ってよく遊んだものだ、勉強はともかくとして。高卒後花木は大学へ進み、おれは就職したのだが、それでも変わらぬ交際をつづけ、お互い心の隅々まで知っているといったそんな仲だった。
「7月12日だ、もうすぐだぞ。もちろんおまえも参加するわな」
口ごもった。「それがな」
「何がそれがなだ。さっきも言ったように舞畑さんも出席するんだぞ」
幾代さんには会いたい、何としてもだ。しかし桐園、京堂、この花木、舞畑さえもマスクだろう。とてもそんなところへは――
返事ができないでいた。
「そうか、わかったぞ」ポンと言った。「お察しのとおり京堂も参加する。だが舞畑さんと京堂の仲は、おまえらが考えているようなものじゃない。舞畑さんにとって京堂は単なるボーイフレンドのひとりに過ぎない。まだまだおまえにもチャンスがあるってもんだぞ」
さすが幼馴染だ、おれのことはよく知っている。舞畑幾代にとって京堂はただのボーイフレンドで、おれにもチャンスがあるってこと、花木が言うのだから間違いないのだろう。しかしーー
「7月12日午後2時からいつもの喫茶店だ、わかったな」と念を押して通話を切った。
⑥へ つづく