中曾根首相は、当日避暑先の軽井沢から東京へ帰り、19時47分ごろ官邸に到着したとき、報道陣に囲まれて、「123便がレーダーから消えたことは、今まで知らなかった。あなた方から今聞いて初めて知った」などと空とぼけた発言をしている。500名を超える乗員乗客が搭乗している123便が行方不明になったという重大ニュースを、一国の首相が知らないはずはないのだ。官邸では何回かの対策会議があったが、首相は一度も出席していない。対策本部が立ち上げられたのは23時を過ぎてからで、はじめてその会合に出席した中曾根首相は、その席で「私が合図するまでは何も話してはならない」と釘を刺した。後日、この秘密は墓場まで持っていくとも語った。

  遺族の一人が、墜落の原因をもっと厳しく究明すべきだ、そのことを中曾根首相に要請してほしい、と日航高木社長に頼んだところ、高木社長は、「そんなことをすれば、私は中曾根首相に殺される」と顔を引きつらせて言ったという。

 このような航空機事故が起きた場合、ショックと混乱のただなかで、何はともあれ人命救助を最優先にして対処するのが当然だが、この123便に関してはその形跡は見られず、むしろその真逆のことをやっていたといえる。

 123便の墜落現場の特定、人命救助が大幅に遅れたのは、捜索、人命救助の困難、情報の錯綜といったことではなく、意図的だったと言わざるを得ない。

 また墜落の原因が圧力隔壁の破裂により垂直尾翼が破壊されたのではなく、外部から何らかの物体が垂直尾翼に衝突したものと言うことができる。その証拠に垂直尾翼の上端、前縁部にえぐられたような損傷とねじれたような傷があり、安定板はリベットが撃ちこまれたままゆがんだ形状を示していた。

 またフライトレコーダーによると、機体後部で発生した衝撃音と同時に機首が背後から前方へ押し出されるような震動を受けており、これも垂直尾翼の後方から何らかの物体が衝突したことを示している。

 ついでに言えば、航空機事故の原因解明のカギを握るボイスレコーダー、フライトレコーダーが公開されたのは、15年経過した2,000年だった。それも内部告発者がメデァへリークしたものだし、その内容はどちらも大幅にカットされ、編集され改ざんされた形跡がはっきりと認めれるのだ。

 遺族はすべての生のボイスレコーダーの公開を要求したが、政府はそのたびに拒否し、2021年3月、遺族の一人、夫を亡くした吉備素子さんがボイスレコーダーとフライトレコーダーの全公開を要求する訴訟を起こしても、裁判所は、法的根拠はないという理由でその要求を退けた。

 垂直尾翼に衝突した飛行物体ーーそれは自衛隊の無人標的機とする説が多い。海上自衛隊が発射した無人標的機が、誤って123便の垂直尾翼に衝突したというもの。

 無人標的機の中でも大きさ、重量から言って、ファイア・ビーだろう。

 ファイア・ビーー全長7メートル、重量1200キロ。

 その大きさからいえば、ファイア・ビーははっきりとレーダーに映るのだ。しかし東京管制、横田基地などどこのレーダーにもファイア・ビーをとらえた形跡はない。

 そもそもファイア・ビーは、訓練支援艦「あづま」からのみ発射されコントロールされる。当日の12日、「あづま」は、広島の呉港で停泊していたことが証明されている。

 当日、新型護衛艦「まつゆき」が相模湾で試験運航しており、その「まつゆき」からファイア・ビ-を発射したとする説もある。だが「まつゆき」は、自衛隊納入前で、石川播磨工業の所有物。無人標的機やミサイルの発射訓練するほどの兵器装備はまだだった。艦船としての性能テストだったのだろう。

 仮にファイア・ビーを発射できたとしても、相模湾上空は旅客機や米軍機が頻繫に飛び交う、空の銀座通りといわれる空域で、無人標的機の発射は禁止されている。隠密にやろうとしても、レーダーにキャッチされて関係者は大目玉を食らうことになる。自衛隊はそんなことは百も承知しているはずだ。

「まつゆき」が相模湾で試験運航していた目的は、123便から落下してきた垂直尾翼の位置を確認し、海中捜索隊を呼び寄せ、世間が123便行方不明で大騒ぎしているどさくさに紛れて、海中に沈んだ垂直尾翼の残骸を回収することだった。重要な証拠物件である垂直尾翼の残骸を、海中に放置していては枕を高くして眠れないはずだ。回収した垂直尾翼の残骸は、どこかの倉庫にでも秘匿されているのだろう。

 無人標的機、ミサイルの発射実験は、遠州灘沖の訓練空域R144で行うことが許可されている。

 仮にこの空域でファイア・ビーを発射し、コントロールを失って相模湾上空あたりへ漂流した場合、担当の隊員は旅客機にでも衝突したら大変だと狼狽しながらも、旅客機との衝突を避けるためにあらゆる手段を駆使したはずだ。東京管制、横田基地のレーダーに捕らえられているのだから、自衛隊か米軍に漂流するファイア・ビーを撃墜してもらったり、旅客機の進路を変更させるはずだ。そうしていれば、123便の垂直尾翼に衝突することはなかったのだ。

 123便の乗客の一人が、機体後部の窓から撮影した写真に、円錐形のような先端部分が雲間から露出している物体が映っており、これをファイア・ビーだと指摘されているが、ファイア・ビーの先端部分は鋭くとがったものだし、ファイア・ビーのどこにも円錐形のものは見られない。その円錐形のような物体を操縦クルーが見つけ、直後衝撃音がしたため、その物体が123便のどこかに衝突したと判断して、スコーク77を発信したという説もあるが、その物体は機体の後方に存在したもので、操縦クルーには見えていなかったはずだ。

 これにより、無人標的機のファイア・ビーが、123便の垂直尾翼に衝突したとは言えないだろう。

 それでは 自衛隊のミサイル誤射説はどうだろうか。

 自衛隊の戦闘機、あるいは艦船から誘導ミサイルが誤って発射され、それが123便の垂直尾翼を直撃したというもの。

 自衛隊は民間航空機を仮想敵化して演習することがよくあるといわれている。例えば1947年に起きた雫石全日空機事件のようにだ。しかし、雫石事件は自衛隊の訓練空域で戦闘機2機が訓練を行っていたとき、そのうちの一機が訓練空域を外れて、雫石上空を飛行中の全日空58便に衝突し、58便は空中分解して墜落し乗客乗員全員162名が死亡、自衛隊機は不時着して死者はなかった。これでわかるように、自衛隊は旅客機を仮想敵化して演習してはいないのだ。

 模擬用のミサイルは発射することができない。エンジンが装着されていないのだ。ロックオンするところまでの演習しかできない。

 演習用のミサイルにしても、火器統制によりそう簡単に発射されないようになっている。仮に発射したとしても、ミサイルの頭部にはレーダーによって相手を識別する能力が装着されており、標的が旅客機と分かれば、たちどころに自爆する仕掛けになっているのだ。

 雫石事件以降、自衛隊に対する風当たりは強く、それに年々防衛費は増加する一方で、自衛隊存立の危機とさえ言われていた。そんなときだ、雫石のような事故は二度と起こしてはならない、雫石事件を教訓として演習や訓練には十分注意を払うよう厳命されていたことだろう。このような状況では、危険性が少しでもある演習や訓練は行ってはいなかったはずだ。

 以上で、無人標的機が衝突したのでもなく、ミサイルの誤射でもなかったということができる。

 それでは、自衛隊が意図的に123便を、それも垂直尾翼を狙ってミサイルを発射したのだろうか? そんな恐ろしいことはあり得ないと思うだろうがーーしかし、それがあり得るのだ。

 ボイスレコーダーを検討しているとき、不可解だったのは操縦クルーが、平行飛行にもかかわらずシーベルト着用のサインを再点灯したり、乗客がトイレに行っていいかどうか客室乗務員が、操縦クルーにわざわざ許可を求めたり、それに応答したクルーの声が異常に緊迫していたことだ。(声紋研究所の分析では、異常な切迫感がこもっていた )また衝撃音と同時に、急減圧が起きていないにもかかわらず酸素マスクをドロップさせ、ろくに計器類を調べないうちに早々とスコーク77を発信したことだ。

 そんなことを考えているとき、よみがえってきたのは、戸浪が臨死体験で聞いた高濱機長が語ったことだ。123便出発の直前、高濱機長が岩木田特別補佐官から指示されたことーーその話と、これまで光一が調べてきたことが、ぴたりと合致して123便墜落に秘められた真相が浮き彫りになってきたのだ。

 高濱機長がだまされたと悔しがっていたように、墜落の原因が圧力隔壁の破裂と見せかけながら、そのうらで、恐るべき、仕組まれた国家ぐるみの謀略が実行されていたということだ。

 岩木田特別補佐官が指示したなかで中心命題の衝撃音ーーそれは自衛隊機が123便を狙って発射した、黄色に塗られたミサイルが垂直尾翼に命中して落下させた音だった。その音と同時に酸素マスクを落下させて急減圧が起きた状況を作り、圧力隔壁破裂による垂直尾翼の損傷により操縦不能になり、御巣鷹山に墜落したという茶番を成立させたわけだ。123便が発信したスコーク77を受けてスクランブル発進した自衛隊ファントム機のパイロットの指示により、羽田空港、横田基地への着陸を阻止し、自衛隊の秘密基地がある御巣鷹山へ追いこみ、そこでミサイルを撃ちこんで墜落させたのだ。

 このときの証言はいくらでもある。

 例をあげれば、大きな飛行機を、小さな飛行機2機が追っていた、小さな飛行機から、火の玉のようなものが大きい飛行機に流れていった、という児童の証言。

 ジャンボジェット機が迷走して山陰に隠れたとき、ピカッと光って落雷のような音が響き、きのこ雲のようなものが上がったという証言もある。このほか123便事件に関してさまざまな目撃証言があるのだが、事故調は終始無視した。

 そして故意に墜落現場の特定を遅らせ、その時間を利用して証拠物件であるミサイルの破片や垂直尾翼の残骸を回収し、目撃証言者となる乗客乗員全員の殺害を実行した。とくに高濱機長が狙われた。機長の遺体はどこにも見当たらず、わずかに歯の一部だけが残っていたという徹底ぶりだ。制服もどこにもなかった。重要な証言者である高濱機長を、火炎放射器で焼き尽くしたということだ。

 それでは、何のためにこのような航空機墜落という大がかかりな事件を起こしたのだろうか。奴らがこの事件を起こした動機、目的といったものが必ずあるはずだ。それは何か?

 第一に考えられるのは、政治的問題、いわゆるプラザ合意である。123便事件の1ヵ月後の9月、アメリカニューヨークのプラザホテルで為替相場の協調介入により円高ドル安を促進させることが決められたのだ。

 当時の日本は、戦後の復興策が功を奏して高度経済成長期に入り、DNPは世界第2位だったが、実質的には経済力は世界のトップだった。逆にアメリカの経済は、ドル高のため貿易と財政の双子の赤字を抱えて青息吐息だった。そこでアメリカは日本に対して円高を要求した。中曾根首相や政府中枢は受け入れようとしたが、多くの政治家や企業家が強硬に反対した。いくら説得しても無駄だった。業を煮やした日本とアメリカの政府が、目をつけたのが123便だった。

 123便ー機体番号JA8119は、1978年6月 大阪伊丹空港でしりもち事故を起こしていた。その際、アメリカボーイング社が修理を行ったことを利用した。そのときの修理ミスにより、圧力隔壁が破裂し垂直尾翼を損壊させて123便は墜落したという筋書きを思いついたのだ。

 ボーイング社の修理ミスーーそれがミソだった。ボーイング社は、当初修理ミスを認めようとはしなかったが、1ヵ月後、あっさりと修理ミスを認めた。日本側はそれに乗った。事故調は十分な検証を行わないうちに、ボーイング社の修理ミスによる圧力

隔壁の破裂が原因だという結論を下した。

 そして奴らは、ウソの大義名分をでっち上げて、反対する政治家、企業家を説得したのだ。つまりこうだ。「123便墜落の本当の原因は、自衛隊が発射した無人標的機が、誤って123便の垂直尾翼に衝突したからだが、そのことが明らかになれば、自衛隊の存立が危ないものになり、自民党政府も瓦解してしまう。そこを、ボーイング社が修理ミスを認めてくれたお陰で事なきを得た。この借りは大きい。この借りを返すためには円高ドル安促進を認めるほかはない」というように説得して、反対する政治家、企業家を屈服させたのだ。   

 123便事件の1ヵ月後、プラザホテルで電撃的に円高ドル安推進の方針が決定された。

 ちなみにボーイング社は、修理ミスがあったにもかかわらず、日航、全日空はボーイング社の航空機を買いつづけ、ボーイング社は史上最高の収益を上げることになった。日航株も最高値をつけた。

 プラザ合意1年後には、1ドル240円から120円の円高になり、それつれて輸出は減り、景気は後退した。日本銀行は公定歩合を引き上げた。これにより資金は株式、不動産市場に流れ、いわゆるバブル経済となった。

 1990年 株価が暴落し、バブル経済は崩壊した。不良債権を抱えた金融機関は破綻し、中小企業の倒産が相次いだ。ゼロ金利により消費も落ちこみ経済は沈滞した。その後も郵政民営化などもあり、経済は低迷をつづけている。

 一方 アメリカはドル安により輸出が増え、貿易、財政の双子の赤字は解消されて経済力は回復していった。

 123便墜落事件1ヵ月後のプラザ合意により、歴史の流れは大きく転換したのだ。

 123便事件は、新開発の兵器の実証実験の場でもあった。

 アメリカは電子技術立国である日本に対して、超精密の誘導ミサイルの開発を要求していた。これに応えて日本は、AAM-3の開発に成功した。このAAM-3は、赤外線、、紫外線ホーミング誘導方式で、超音速で飛ぶジェット機のある部分を狙い撃ちできるほど精密度が高い。あの日、関東A空域を飛行していた電子訓練機EC-1からこのAAM-3を発射し、相模湾上空を飛行していた123便のAPUを含む垂直尾翼に見事命中させて、実証実験に成功をおさめたということだ。

 またジャンボジェット機を、電波による遠隔操作する装置の開発も進めていたが、123便を山岳地帯へ誘導することができて、ある程度の成功をおさめたともいえる。

 さらに開発を進めていた強烈な爆発力を持ったミサイルを、御巣鷹山へ追い込んだ123便に発射し撃墜させて、世界へアピールした。

 さらにトロンOSの問題もある。 OSというのは、オペレーションシステムのことで、パソコン、スマホなどを操作するためのソフトウエァのこと。

 トロンのOSは性能がよく、無償ということもあって、マイクロソフト社のウインドゥズをおさえてOS市場のトップを走っていた。

 ところがである。トロンOSの技術者17名が123便に搭乗していて、その全員が犠牲になってしまった。その結果、トロンOSのプロジェクトは頓挫した。その代わりウインドゥズが躍進して、パソコン、スマホのOS市場をほとんど独占するほどになった。トロンの技術者が生存していれば、マイクロソフト社のウインドゥズは今のような繫栄はなかっただろう。マイクロソフト社の創業者は、あのビル・ゲイツなのだ。

 トロンの技術者17名は、不運にも偶然に123便に乗り合わせてしまったのだろうか。それともーー

 坂本九の場合はどうだろうか。九が飛行機を利用するときは、いつも日航ではなく全日空だった。その九がどうして日航123便に乗ってしまったのだろうか。不運にもたまたま123便に搭乗したということだろうか?

  あっ、と光一は思わず声をあげた。そうではなかったのだ。

 

              9⃣へ つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああmA