ゴキブリが活動する季節になった。先日も仕事中にオクさんから、「かけでもがな」の電話がかかってきた。風呂場にゴキブリが出没し、パニックにおちいっていたのだ。だれにも苦手はあるものだが、この季節、筆者もどうにも苦手でならないのだ。
ヒロシマに生まれた者の因果だろうか。
夏が巡ってくることにひどく怯えていた。特に小学生の頃は「あの日」を軸に一年が旋回していたといっても過言ではない。
毎年、8月6日前後に登校日が設けられた。この日には全校生徒が体育館に集められ原爆の惨状に関する映像を見せられる。朝から生徒たちは緊張した面持ち。体育館でこれから何がおこるかわかっているだけに体育館にむかう足取りは重い。
大の男が声高に言明することでもないが、あの手の映像はこの歳になっても徹底的に弱い性質(たち)である。薄暗い体育館の中、剛毅な級友がスクリーンを凝視しているが、ときどきうめき声をもらしている。ヘタレの筆者は体育館の床だけをみつめながら、エンドマークが出るのをひたすらに待った。
時はレーガン政権による対ソ強硬路線の真っ只中。冷戦は最期にして最高潮のボルテージに達しており、いつ核戦争が勃発してもおかしくない一触即発の雰囲気ではあった。漫画「はだしのゲン」の作者・中沢啓治氏は作画の中で被爆者の惨状をあからさまに描写することに対し「トラウマを植え付け、それによって原爆に対して嫌悪感を持ってくれればいい」とコメントしている。核戦争にたいする心の抑止力を培わせたかったのだろうが、筆者にはちと薬が効きすぎた。
夏休みの開始と同時に「あの日」への心のカウントダウンがはじまる。当日、8時15分のサイレンが鳴り止むと同時に「あの死体がいっぱいの光景がここにあったんだ」という思いで胸が詰まり、今いる自分の足の置き場にも困ってしまう。夢に見そうな夜になるのが怖い(毎晩はつらい)。こんな思いに秋口までさいなまされるということを繰り返した少年時代だった。
奇縁ながら筆者は「はだしのゲン」の主人公と同姓(中岡)である。各教室には学級文庫として数巻ずつ配本されており、かなりの読者がいた。
「おい、ゲン!」
などとからかわれたことも一度や二度ではない。アダ名にするには少々重たくもあり、迷惑顔はしてみせるものの内心では、ゲンに対する憧憬もある。
「(焼け野原をたくましく生きる)あんだけ度胸がありゃー苦労せんよ」
とボヤいたものだ。
そんないきさつで筆者の頭のなかでは第二次大戦の顛末だけがポッカリと空白になっている。歴史辞典にしろ資料集にしろ、ページが第二次大戦の辺りにくるとやにわに手が震えだし、ページが開けなくなってしまうのだ。開戦の中心人物たるアドルフ・ヒトラーの肖像画をみただけで心拍数があがり、吐き気をもよおすというのだからほとんど重症である。
その反動といったらおかしいだろうか。妙な安心感でもって第一次世界大戦(1914~1918)の資料を読み漁っていた。ヒトを殺すということを機能美にまで研ぎ澄ませた第二次大戦時の兵器に比べ、第一次大戦時の兵器はどこかオモチャチックだ。新兵器として投入された飛行機も布張りの機体で、爆弾は吹きさらしの搭乗席から手で落としていた。とてもB29のように大量殺戮できる代物ではない。
当時、火器の主流は機関銃に移り、白兵や騎馬による突撃が戦術上の意義を失った。敵陣に手堅く肉迫するため溝を掘り進んでいく、いわゆる塹壕戦が展開されるようになる。塹壕の進路を塹壕で遮断する。互いの塹壕の背後に回りこむための果てしない塹壕戦が展開されるようになり北はバルト海から南は地中海までヨーロッパが塹壕で真っ二つに分断されるという事態にいたった。大戦初動期は滑稽な穴掘り合戦だったといっていい。
このモグラのような戦術に終止符を打つため戦場に投入されたのが戦車だ。装甲された車体で機関銃の弾丸を跳ね返しつつ、無限軌道が施された車輪で塹壕や鉄条網を突破していく。対戦車戦という思考はないから不気味に突き出た砲塔もない。図体はでっぷりした婦人のようでどこかユーモラスである。
しかし、この第一次世界大戦、実は「死にいたらしめる」という点で原子爆弾以上の脅威が人類を蹂躙したのだ。
A型インフルエンザの変異株(H1N1亜型)が引き起こしたパンデミック、通称“スペインかぜ”である。発生源は米国のデトロイトやサウスカロライナ付近。それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。
米国発であるにも関わらずスペインかぜと呼ぶのは、情報がスペイン発であったためである。当時、開戦中で、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であり、大戦とは無関係だった。スペイン王室の一員がこの風邪にかかり、新聞報道され広まったという説もある。
感染力、致死率がすさまじい。感染者は6億人(当時の世界人口は約18~20億人)、死者は4~5000万人。日本だけを例にとっても、当時の人口5500万人に対し48万人(最新の研究結果)が死亡している。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中で、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである。
1918年3月に米国デトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、米軍の参戦と共に大西洋を横断。5~6月にヨーロッパで大流行となった。衛生環境の劣悪な戦場では瞬く間に猛威をふるい、大戦終結の一因になったともいわれる。
第一次世界大戦におけるドイツ敗因の教科書的説明として、Uボートによる無差別攻撃(ルシタニア号事件)に端を発した米国の参戦というものが挙げられるが、うがった見方をすれば米兵のもちこんだインフルエンザウィルスに敗れたと言えなくもない。
第一次世界大戦は人類が最初に経験した国家総力戦であった。18世紀のイギリス産業革命にはじまる資本主義の成長、帝国主義の台頭といった風潮の中、先進資本主義国陣営と後進資本主義国陣営による領土再分割のための最初の決戦ともいえる。これまで絶妙のバランスオブパワーの上に成り立っていたヨーロッパ世界が完全に平衡感覚を失い、とめどなく血が流れる中にあっても誰も調停役になることが出来ず(それまでの戦争は調停役を想定しての限定戦争といえた)、泥沼の様相を呈していたといえよう。ましてやオモチャのような兵器で敵に決定打を与えられないとなればなおさらのことだ。
もはや人間が調停役になり得ない中、かつてない強毒性と感染力をもったウィルスをカードに「何か大いなるもの」が留(と)め男を買って出た。
今回ばかりは表題を「人災」から「神災」にかえたほうがよかったかもしれない。