武闘派少年の日々
読者の多くは筆者を、歴史マニアの文弱の徒と思われるかもしれないが中々どうしての武闘派なのだ。もっとも保育園のころまでの話だが…。
当時、再放送でアニメ「空手バカ一代(原作・梶原一騎)」をやっていた。主人公が漬物石を手刀で割れるようになるため、山ごもりして修行する姿に打ち震えるほどの感動を覚えた。
なぜ自分もそこまで漬物石を割りたいと思ったのか定かではないが、ともかくも小学校にはいったら空手の道場に入門すると心にきめた。
しかし、町内に空手道場が無かったため、柔道にのりかえた。ちょうど同時期に「柔道賛歌(原作・梶原一騎)」というスポ根アニメを再放送しており、そちらの方にもそれなりに傾倒していたので悪くないと思った。
同級生(府中町立府中小学校)で、後にボクシングWBA世界ミドル級のチャンピオンになった竹原慎二氏と同じ道場の釜の飯を食った…といえば聞こえがいいが、乱取り稽古(組み合って技を掛け合う)でも適当に先生の目を盗みながらじゃれあっていた。たしか彼の二つ上のお兄ちゃんも通っていたが、見取り稽古(見学)の時などにお兄ちゃんともタメ口でダベっていたものだ。
当時は空前のプロレスブーム。道場の畳の上では柔道技ならぬプロレス技の猛稽古。学校では級友にやたらとプロレス技をかけたがる「学校あるある」のネタになりそうな少年に成長していた。藤波辰巳のようなジュニアヘビー級チャンピオンになることを本気で夢見て…。
年上がそんなに偉いんか?
高校でアマチュアレスリングをやろうと思い、中学では適当に体力をつけることにした。まず最初に部活体験をしたのが柔道部。しかし、道場には町内の柔道クラブにはなかった独特の雰囲気がただよっていた。竹原のお兄ちゃんを見かけ、以前のように屈託のない口調で話しかけたら怪訝そうな顔をされた。「先輩・後輩」の初めての洗礼である。
小学校の頃とのギャップに耐え切れず柔道部を飛び出し、友人に誘われたこともあって軟式テニス部に入部することにした。しかし野球部や柔道部ほどではないにせよ、そこにもやはり先輩・後輩の封建的上下関係が存在した。
なまじ歴史の知識があっただけに反発心がムラムラ沸きあがってきた。
「帝国陸海軍の旧弊が亡霊となってこんなところに息づいているのか?」
教職員の組合活動など、当時から胡散臭く思っていたが、この時ばかりは、
「なんとかしてくれ、日教組!」
と思った。この世に生まれ落ちた日付が早いか遅いかで人に頭を下げなければならないことをどうにも承服しかねた。ただ、兵卒が敬礼するのは階級に対してであり、「年の差」ではない。
おそるべし!儒教精神!!
筆者は、わが国の体育会活動がかかえる得体の知れない伝統は、軍隊というよりはむしろ大陸から伝わった儒教精神に要因があるのではないかと考えている。
「長幼の序」は儒教における五つの徳目「五倫」の一つ。「年少者は年長者を敬い、したがわなければならない」とある。
そもそも儒教は約2500年前に孔子によって体系化された、徳治によって国を治めるための「経世済民」の道を説いたものである。農民の反乱や流賊の横行に終始悩まされつづけた中国の歴代王朝においては、儀礼や徳目で人間のナマの感情や行動を縛り上げることで、民衆を「飼いならす」打ってつけのドグマであった。はやくも前漢の武帝の時代には国教化(紀元前136年)されている。
1895年の下関条約により独立が確認されるまで、中国による冊封(さくほう)体制の傘下にあった朝鮮の歴代王朝もまた積極的にこの教えを取り入れた。
ただ、この教え、春秋戦国の乱世を治める「時代の要請」から世に受け入れられたように、大国を大きく束ねる上では効果があっても、それがいざ小規模な国家に適用された場合、弊害もまた大きいような気がしてならない。
儒教文化が浸透した韓国では年齢秩序が本家本元の中国以上にうるさい。年上の人の前で、タバコを吸うことは勿論、眼鏡をかけることすらタブーだという。眼鏡は「老成」の象徴の一つであり、まぁ若造のくせに生意気だということになる。
しかし、こうした内容は多分に司馬遼太郎氏のエッセイ(街道をゆく)からの受け売りであり、実際、周囲の韓国ゆかりの人で老人の前で眼鏡をはずす光景など見たわけではない。大阪で「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」とかけあう人間を見たことがないように…。
ただ、「カプチャン」については、ひょっとしてあれが、と思い当たるふしがある。
「甲丈」「等甲」という文字をあてる。同年齢という意味らしい。年齢による上下関係にやかましい社会だけにその反動として、同年齢だということが判るとタガがはずれたように悪意なき雑言の浴びせあいになるのだそうだ。
口さがない関西人や広島人同士の訛りを交えた会話が時に口喧嘩にきこえるように、韓国人同士が丁々発止やりあう光景がソレだ。
ただし、生まれた月日まではお互い聞かないのだそうだ。月日が判れば、そこにまた、わずかながら長幼の序が生じ、会話のキレがなくなるのだという。おそるべき徹底ぶりである。
こうした年齢の上下関係以上に厳しいのが親類関係である。
先祖の祭祀が最重要の儀礼である儒教においては、先祖を共有する親類縁者のつながりが非常につよく韓国の場合、8親等(血族)までを親族(日本は6親等)としている。一つの親族団は数万人規模になり、親族内でオジとオイとなれば同年齢であってもカプチャンどころではないのだそうだ。もはやアニキ、オジキの任侠映画を観るようなややこしさになってくる。
こうした強い血縁のしがらみの中にある韓国社会にあっては組織内の情実人事などは決して珍しいことではない。韓国トップの大統領に親戚絡みの収賄事件など、スキャンダルが絶えないのはこうした文化的背景が影を落としている。
繰り返すが隣国の負の部分を挙げ連ねようという意図ではない。サッカーの「侍ジャパン」などにかこつけるわけではないが、我々が「サムライ」と自称するならば、こうした隣国の文化的背景を深く理解し、共栄のために手をさしのべるのが「武士の情け」ではなかろうか。反日でどれだけ罵詈・雑言を浴びせかけられようとカプチャンだと思えばよい。
結局、筆者は空手で県下有数の実績を誇る高校に進学したが、その頃にはすっかり保育園当時の志をうしなっていた。目上に従うという儒教的雰囲気をうけつけない捻じ曲がった根性なのだから仕方がない。欧米発祥のスポーツで比較的、先輩・後輩関係がゆるいサッカーならばどうだったろうかと今でも思う。
あの頃、「赤き血のイレブン(原作・梶原一騎)」を観ておけばよかった。