夕べはかなり長い夢を見た気がします。
夢って日常の延長上にある自分の精神を整理整頓するものと、まったく違う異世界で生きているかのようなものとあると思うんですが、夕べは後者でした。
私はどこかの世界にいて、そこに居る人は全く知らない人ばかりなのですが、なぜかなじんでいるようで、、
でもそこでは、なんとか仲間にいれてもらいたくているような、今の自分と同じく、ちょとシャイ&卑屈な性格でいました。
そこでは若い人たちばかりしかいなくて、たぶんじぶんも若くなっているかんじでした。
数人が全身にボディペインティングをして自己表現として芸術表現?している人たちがいたり、ざわざわしていて・・・とにかくこちらとは全く違う世界観です。
よく、眠っている間というのは半死半生状態で、自分の故郷に帰るとかいいますよね。
そういう意味ならば、ちょと分かるような気がします。
その夢が覚める寸前に、その夢の中で壁のとなりにある部屋に父がいて、姿は見えなかったのですが、
「しもうた!これもっていって!」といってる声が聞こえて、その直後にめが覚めました。
「これもっていって!」・・って何を持って行ってほしかったのか?
何か私に渡したいものでもあったのかなぁ?と思ってしまいますよね。
気になりました。
それが何だったのか、後々分かるといいのですが。
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かなり前に、夢の中でどこかに浮遊しながら訪問したときに、そこにいる人たちが「よく帰ってきたね~!」と喜びながら歓迎してくれました。こちらで言うとまったく誰なのか知らない人ばかりなのに、なぜか違和感なく喜びあい語り合えたりします。
そしてそこにいる間は身体は重さもなく自由なので、とても嬉しくて、そして自由に“飛んで移動”できるのです。それも一人ででも、一緒にまざりあって集団になってぐるぐる回りながらあちらこちらに飛んでいけるのでした。
あの感覚も不思議ですが、そういう体験もありました。
前にこちらで何かの能力のある方に、貴方は霊界の宣伝マンだとか言われたことがありますが、そうなのかなぁ?と思ったり。あとあのリュラ星のS女子に言われたのが、私は「神秘家」としての才能をもっている、と言われたこともありましたが・・まじか!?と思ったり。(笑)
宇宙人に言われたのだから本当かなとか?w いやいや・・・
「神秘家」ってわかりますか?
こちらでいうと、宗教の教祖みたいなものです。
私としては、そんな存在になる素養も気持ちも全くありませんし、そういう才能があると言われてもこの物質主義の世界ではほとんど何も役に立ちませんよね~。(笑)
でも、自分の過去の体験を思い返した時に、それもちょっとだけ分かるような気がします。
と今更ながらにぶちまけますが、自分には有名どころの方みたいな特にすごい霊能力があるというわけではないのですけど、ただ昔から勝手に幽体離脱したり、寝ているときに生霊や幽霊がやってきたりすることがあり、特にそれを怖いと思うこともなく、色々自然に分かってしまうことがあったといえばありました。
そういうところが神秘家としての才能だったのかも?なんて思います。
このあたりは、前から読んでいる方は知っていると思いますが。
あちらの世界でいつも一緒にいるガイドさんと呼んでいる存在のこともわかったし(私が一人じゃないと思えるのはそのガイドさんがいつも一緒にいるからです)このガイドさんにはいつもよく話しかけています。だからときどき独り言を言う危ない人になることも多い!
そして、時に離脱しているときに、すでに亡くなった人たちと遭ったりも・・・。
またこちらの世界と殆ど変わらない世界、街にいってみたり、街はあるのに、人がいっさいいない世界があったり。あちらこちらを見ていて、自然と分かってしまうこともあったり。
その最近読んだ本の中でものすごく納得したところというか、私の体験の中で常々思っていることとものすごく合致するところがありました。
それは、本当にいつも思っていたことなので、そこに書かれてあったことが全ての真実だとは言いませんが(言葉の上のことや概念というのは、その人が受け入れるものでしか認識されないし相対的なものなので)人に押し付けるつもりも、それが唯一の真実だとは言わないものの。
私の体験と照らして思ったのは、、
この三次元という物質世界というのは、実は「こちら」が「死」の世界であって、「あちら」が本当の「生」の世界だということです。 あちらが「光」であってこちらが「影=闇」の世界だということです。「あちら」がリアルの世界であって、こちらは生きるために制限だらけの苦しみ続ける「地獄=煉獄」であるということです。
それはうすうすというか、いやかなりそうだよな~思っていました。
なにせ幽体離脱したときの身体の爽快感や自由さを知っていたので、どうして私たちは肉体という、このような不自由な物質に宿るのか?と疑問を持っていましたし、、
そうなんですよね、、だって、向こうの世界に行くとわかりますが、全てが内側からというか、そのものが輝いているというか影がないんです。そして全て美しいというか、光もこちらの光とは全然違います。ものにもホコリとか汚れとかないんです。そして、こちらよりずっと強烈なリアルな感覚の世界があって、むしろこちらのほうがぼやけている夢のように感じてしまうぐらい強烈な感じる世界なんですよね。
翻って、私たちはというと、光というものがないと見えないじゃないですか?
光源を失ってしまうと真っ暗になって何も存在しないかのようになってしまうじゃないですか?
そして掃除しないと、浄化しないとどんどん汚れていってしまいますよね、、(掃除、整理整頓苦手!)
この雑多で面倒で、重苦しい世界、、実はこちらのほうが「死」の世界だったなんて楽しい冗談・・・?(爆笑)
なるほど、、と!(苦笑)
とは言っても、それも捉え方というか相対的なことなので、こちらの物質主義的な価値観に染まり切っている人には、そのことがどれほど理解しようと思ってもそうは思えないと思います。
むしろこちらでの栄華を望み努力をし、物質的なものに偏ったものにばかり、その価値を求めてしまうというのも、ある意味執着となって、誰しもがあちらの世界に戻る時、こちらでのあまりの楽しさ、成功に酔いしれたために執着となり、離れられない・・といったことにもなるでしょうね。
それもある意味罠みたいなもので、心の安定や本当の幸福に目覚めない限りは、物質的なものでそれを埋め合わせようとしてしまうのだと思います。
いや、そういう捉え方言い方も、私達のこの世界、闇を正当化し、人びとの心をあきらめさせるため、納めるための方便と言われるとそうなのかもしれませんが・・・。
でも、言葉のうえではなかなか語りつくせないものですね。
と、今回は、かなりあちらなことをぶちまけてしまいましたが、ついてこれる方だけどうぞ。