今日、父が亡くなった。

私はこちら関東にいて、父は高知にいるし、しかも倒れてすぐに心肺停止だったらしいので(心臓動脈瘤があったらしいけれど私には隠していた)だから間に合うわけがなく・・・。

でも、こちらでたまたま知り合いと父の話をしていたんだった。
「父はあんな大変な身体でよく生き抜いているよな~」って話をしたところだった。
まさにその時間に、、倒れていたらしい。

やっぱり虫の知らせってあるんだなと思う。

義母からの電話は、倒れて運ばれて意識不明だと言っていた。
意識不明って、、私はそれはもうダメだろうと思った・・・。

義母の声は動転していて、息が荒くておどおどしているかんじだった。

もちろん私もビックリして留守電を聞いて慌ててしまった。
運ばれたという病院に電話をして様子をきいたけれど、ちょうどその時まさに死亡確認がなされている、その時間に電話をしてしまったらしい。


「ご遺族が病院長からの説明を聞いているところです。」
と看護師さんが言っていた。

義母に電話を代わってもらって色々とどんな状態だったのか聞いてみた。

父はご機嫌よく、いつものように大好きなカラオケを歌いに出かけたのだそうだ。
そこで倒れて心肺停止状態、意識不明となり、そのまま運ばれ心臓マッサージ等蘇生術を施すも、甲斐なく死亡となった。

とのこと。
先生がそのことを娘である私にも電話で説明をしてくれた。

「心臓動脈瘤があったようです。」とのこと。
それが破裂したんだ、、、なるほど、そりゃ~いっきに逝くわなぁ・・と思った。
爆弾抱えているようなものだもの、、これが破裂したらもう蘇生術も何も、、無理でしょ。しかも場所が心臓だし、、、と納得。

私たちには知らされてなかった・・。
心配されたくないからということで隠していたのかなぁ?


ショックはショックだけど、あまりに呆気なくてビックリしてしまったというか、ついにこの時が来たというか。

父とは、父に対してはほんとうに本当に色々あったけれど、やっぱり血っていうのはあるなぁ、って思うし、その肉親というものの存在というのは大きかったなって思う。

父は事故で脊椎損傷のため障害者となり、身体も思うように動けず大変だった。
そんな風になったのも、昔DV三昧だったことのバチが当たったんだ!などと思っていた。苦笑

だけれども、そんな思うように動かない身体で父はどうにかこうにか80歳まで生き抜いた。
特に何か大きなことをしたわけでも、才能があったわけでも、人良しで友人が多いわけでもなく、ただ、頑固な変わり者で親戚にも誰にも背を向けているような人だった。


私がたまに帰省すると、昔と違っていかにも好好爺といったかんじの笑みを浮かべるようになっていた。
昔、私を虐待したことを後悔し罪悪感のために涙が流れて眠れない夜があると、私に泣いていたこともあった・・・。

特になにか為したわけでもなく、とりたてて素晴らしい人だったわけでもない。
むしろ逆!w

だけれども

だけれども、好きな車を運転し、

春には義母と連れ立ってタケノコや山菜を取りに出かけ、

夏には室戸の海を見にドライブに出かけ、

秋には趣味の石を磨き、

冬には義母と一緒に温かい鍋をおいしいおいしいといって囲んでいた。

特に目立った人でもない、

優れたところがあったわけでもない。

毎日そのときどきで、
自分の気のむくまま 自分の出来る好きなことをして生きていた

しかも、最期は大好きなカラオケを歌いに行った先で倒れたっていうから、、

彼はしあわせだったと思うんだよね。

合掌