これも昔の話なのですが。
催眠術というと、よくショー的にテレビでやられていることがありますね。
私はあのようなかんじにかかるということは警戒心がものすごく強いため、決してないと思います。でも一度だけかけてもらって成功したことがあるので、その時のことを話題に・・。


催眠術といっても、プロの専門家にかけてもらったということではなく、その当時の友人であったT氏がもっていた本の中に、「この本を読めば誰でも催眠術をかけることが出来る」といったような本を使ってかけてもらったのです。



その当時はとにかく好奇心ばかり旺盛で、不思議関連、何にでも興味津々で体験してみたい!目撃したい!ということもあったのでやってもらったのです。

後にも先にも、かかったのはこの時の知り合いのT氏にかけてもらった時のみです。

T氏のことを信頼していたからなのか、それともT氏の声が自分に安心感をもたらす声だったのか?それ以外にプロのヒプノセラピストの方に何度かやってもらったことがありますが、一切かかったことはありませんでした。(お金がもったいないだけだった!w)


でも、T氏は当時あった「読むだけで催眠術がかかる」というような本を、ただ読んでくれただけだったのですがかかったようでした



私は横になってT氏が読んでいるだけの声を集中して聴いていました。

自分からかかるき満々だったというのもあると思いますが、、
実際、いつの間にか目の前に色んな映像が見えてくるようになってきて、不思議な感じでした。

記憶は今となってはさほどリアルにはないのですが、ただ覚えているのは、催眠術にかかっていると思われている間は、そのT氏の声だけが天の声みたいに頭の中に唯一響いていて、その声に従って目の前に見える映像や身体の感覚が変わり、感じられるというかんじでした。




T氏の声の
「深く深く、自分の中に入っていきます。」という言葉に従い、私に見える映像は横になったまま海の中にもぐりこんでいくような体感がして、本当にどんどん深く、深く沈んでいく感覚が実際にありました。まるで海の中に沈んでいくような感覚です。


映像も、深い海のようなブルーとバブルの中にもぐりこんでいく様子が体感的にもあり、映像がハッキリと見えていました。


その深い海の中に入り込んでいく間にも、たくさんの映像が見えていたような気がするのですが、あまりに雑多で目まぐるし変化していったので覚えていないのですが・・・






そして、声が「さらにもっと深く自分の中に入り込みます」という声が聞こえて最終的に見えてきたのが、深い海の底の中にポツンと一人座っている女性の姿した。



その女性を自分の正面で捉えたのですが、その女性は、とても神秘的な佇まいでとても美しいのですが、あまり人間的なかんじのしない雰囲気を漂わせていました。大きな丸い水晶を身体の前において蓮華座になって座っており、服装も顔つきも明らかにインド人の美しい女性でした。


彼女はその大きく神秘的な見通すような目でこちらのほうを観ていました。

思ったのは、この人は私の中の本質的な部分を象徴化した存在を映像化したもの、という風に思ったのですが・・?





※画像はイメージです。もっと神秘的なかんじでしたよ。


見えていた映像は、鮮明で普通に前の前で見ているかのような、すごくはっきりクッキリとした映像でした。

思えば、昔から、特に意識してなかったのですが、いつもつい手にとってしまうのがインドの服やインド系のことでしたし、最も傾倒していたのがやはりインド哲学者のラジニーシだったりしたので、やはり自分はインドにかなり縁があるのだろうというのは思っていましたが、この時にこの女性をみたことで、やっぱりそうなのかな。という気持ちになりましたし、思えば、私は一時、インド舞踊を習っていたことがありますし、インドカレーは今も大好き!w

けして舞踏とか舞踊などというタイプではないのですが・・・(笑)何かインド系には系統していました。

でも、何度もいいますが、後にも先にも催眠術でかかってこういう不思議な体験があったのはこの一度キリです。その後は誰にもかけてもらったことはなく、やってもらってもかかりませんでした。

またやってもらいたい気もしますが、このように相手のいいなりになってしまうというのはちょと不安ですし、被暗示性の高い人もけっこう多いと思うので、こういったことは慎重になるべきことかとも思います。
ですので、本当に信頼できる人にやってもらうことが必要だと思います。警戒心が大きいとかからないと思います・・。

私がこの時かかったのも、おそらくT氏が当時、信頼できる人だと思っていたからだと思います。

というわけで、むかし一度だけ催眠術にかかった時の面白い体験の話でした。


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■日常の余談コーナー(笑)

催眠術の話があまりに薄いので、日常の話に戻りますが、昨日、またしても血尿が出てしまいました。でも、もう驚きません・・・。これは結石のせいだということが分かったからです。

腎臓の中にもいくつかの結石があるので、これが時々落ちてくるってこともあるのだろうとおもいます。しかも膀胱当たりに違和感があったので、これは、、と思っていたら血尿。・・う~ん、そして今回の味覚障害と、、色々と日常でありすぎて本当になんか私の今までの生活もそうですが、どうしてこうも色んな意味で色んなことがありすぎるのだろうとか思ってしまいます。

でも、これらは特に命に関わるとかいう重篤なものではないのですが、、でも、、けっこうな怖い思い、特に肉体的にも精神的にも相当な痛い思いをしてきているなぁ、と思います。いったい何の因果で・・。
と自分が生まれてきたことに疑問を持つことが日常です。

本当に嫌な思いをしないまま、ある程度の平均的な幸福を享受しているなら納得できるのですが、ほぼナイナイ尽くし、、まず生まれ落ちた場所も環境も、、どうだったんだろう?ってはなはだ疑問に思うことも多々あるのですが。

そんな私が 今朝方、夢を見たんですよね。

時々見る、若い父と昔の弟と私の3人で暮らしているという夢でした。家族といえば、私の中ではこの3人になっているのだろうと思います。

父の性格が最悪だったため、虐待もあり私達きょうだいは、委縮して父の顔色ばかりうかがうようになり、なんとかして怒られないようにと必死になっていい子になろうとしているかんじでした。
特に父は父の義母に対しての私怨があったらしいので、女性全般から私に対する理不尽な「キツさ」は別格だったので、今でも私は夢の中で父が出てくると異常なほど怯えていることが多いのですが。
(現実の大人の私はもう怯えていませんが・・・子供の時の私はまだ怯えているようです)

しかし、そんな中でも、この3人が出てきて仲良く暮らしている夢を何度も見るのは何故なんだろう??と思うことがあるのですが、、その今朝方見た夢では、大きなステキな部屋に引越ししていました。あまりに広くて快適な部屋だったので、夢の中で私は「いったい家賃はいくらかかるんだろう」、いや、「返済はいくらづつなんだろう」と考えていました。

父が働いているようでした。そして弟は医者なのでお金は沢山支払ってくれるだろうとアテにしていましたが、弟はなんと「医者を止めて農家をしていてエンドウ豆を作っている」というのです。

「え?エンドウ豆を作ってる??」

お金の面でアテにしていたのに、弟は農業をしているという・・・!(笑)

思ったのは、弟は何よりも植物が大好きでした。子供の時に植物の本を買い与えられると、どれもこれも何の植物の学名とか多年草どうとか、あらゆることを暗記してまるで辞典のようにまるまる本一冊を記憶しているようなやつだったので、、、そうか、、本当にやりたいことをやることにしたのか~!とちょとホッとしたような気持ちになりました。(夢の中ですけどね)


部屋の中には大きなまるい木のようなステレオコンポーネントが置いてあり、たくさんのCDがその木のようなコンポの中のターンテーブルにおいてありました。どこのメーカーのやつかな?と尋ねると、弟がSONYだと答えました。もともとみんなSONYファンだったので、かなと思います。

弟がいて、父がいて、、私がいて、そして知らないだれかが遊びに来ている。

私はその夢の中で、何とも言えない幸福を感じていました。

部屋の中は絨毯が敷かれていて、私はその絨毯に頬を押し付けるようにして眠ろうとしていました、、


過去の実際の私達3人が暮らしていた昔の日々は、きょうだいで父の恐怖に怯えていたことが多くて、誰にも助けを求めることが出来ず、ただ恐怖し苦しみ、苦労していたことは確かだったけれども、、今朝の夢を見ながら思ったのが、、人間というのは、そんな中でも一生懸命に、喜びを見出そうとするものなんだなぁ、、ということです。


あんなに辛かったり、いびつに傷つけられ、歪んみきった精神に追い込まれた日々であって、他人に対してまともなコミュニケーションも出来ないようにされてしまった私と弟だった。それを強引に暴力的に押しつけ強いてきた父に対する遺恨は、今でも弟にも私の中にも残っているのは確実。


しかし、それでも、幸福な時間を見出そうと必死に思っている自分の中にある本来の心というのがあるのを感じたというか、、夢の中で、それらを一生懸命に模索し、修復しようとしているのを感じます。


自分たちはそんな中でも、少しは幸福であったと思いたいというか、、いや、そんな辛さの中でも救いは少しはあったのかもしれないという気持ち、私たちは本当はもっと仲良く、幸福にいられたはずだと、今になって懐かしく思ってしまう。

あの3人で暮らした、唯一の私の中の家族(?)らしきものであったもの、それはやはり少しでも幸福な時もあったのかもしれないなぁ・・って、、

夢の中で思ったことでした。