6年ほど前に記したモノを再掲する。 

 

 戦後における自虐的歴史教育や、妙に近隣諸国への媚びへつらった外交対応、また特定の国における「ディスカウント・ジャパン工作」などを見るにつけ、多くの歴史的事実や当時の国際状況などを考えれば、いま日本人が学ぶべき事は日本側からの歴史的視点の再認識ではないだろうか。下記に私なりの日本側からの歴史観を記してみる。


 韓国は盛んに「日本に侵略され、植民地にされた」というが、韓国併合は韓国人が日本に保護を求め朝鮮側から日本に併合を打診をし、韓国総理李完用と朝鮮王純宗の坧が調印して日韓合意で結んだ。日韓併合条約は合法であり、日本は韓国を侵略した事実はないどころか、詳細は割愛するが日本は韓国統治にて様々な恩恵を与えている。


 このように日韓併合は朝鮮側から請願されたものであり、日韓両国合意の元での条約であり日本の侵略ではなく、アメリカやイギリスやロシア、また清国なども合法だと了承している。さらに併合時代の教育やインフラ整備、あるいは産業育成など日本本土より潤沢に行っている。このことを持っても日本が「植民地支配」?に対する賠償金を支払うのも、本来ならば筋違いといえよう。


 また先の大戦時に朝鮮は日本の一部であって、決して独立国ではなかった。さらに現大統領の父君である朴正煕元大統領は、日本の教育を受け満州国軍軍官予科を首席卒業、その後日本陸軍士官学校を3位卒業し中尉まで昇進をしている。日本の朝鮮統治が公平かつ紳士的な対応であったのに比べ、欧米列強における植民地支配は過酷を極め、当時の亜細亜における真の独立国家は数カ国のみであった。


 逆に歴史的にみて韓国が我が日本国に対して行った蛮行の数々は、今更ながらではあるが多数ある。まずは「元寇」であるが、元軍と言いながら、実は高麗兵主体の軍であり、モンゴル兵は指揮官のみであった。一度目を文永の役(1274年)、二度目を弘安の役(1281年)といい、その際に壱岐対馬の島民大虐殺が行われている。そのときの惨状は下記の通りだ。


・島の男は幼児・赤子に至るまで皆殺しにした上、耳鼻を削いだ。
・女性は強姦され、手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
・高麗軍の将兵が彼女等をレイプしながら博多湾に侵攻した。
・捕虜となった者は、誰一人生きて帰った者は居なかった。

等々


 また未だに韓国における不法占拠が続いている「竹島侵略不法占拠」であるが、1952年に韓国初代大統領李承晩が国際法を無視し、竹島を侵略して竹島周辺で日本人3929人を拉致し44人の死傷者を出した。


 この「承晩ライン」の問題を解決するにあたり、占領下にあった日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えた。


 韓国政府は日本人抑留者の返還には同意したが、日本政府が摘発した韓国人密入国者、重大犯罪者、政治犯等の強制送還は拒絶し、日本国内に自由に解放するよう要求した。このように解放された在日犯罪者は、日本が強制連行したと史実を捏造している。


 その後、竹島の漁民を人質にされて、不利な交渉だった日韓基本条約であるが、日本政府は戦時問題を解決するため日韓基本条約にて、「韓国からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」と提案したが、韓国は「個人への補償は韓国政府が行うので日本は一括して払って欲しい」と言い、日本から受け取った金の9割を公共事業に使い込み、
「漢江の奇跡」といわれた経済発展をなしとげたのである。これを推し進めたのが、韓国現大統領の父君である朴正煕元大統領だ。


 ところがいまだに韓国は「日韓基本条約」を無視し、「補償しろ、謝罪しろ」などと考えられない請求をしてくる。さらにはありもしない「従軍慰安婦問題」など、世界中に嘘の歴史をばらまいている。はたして国家間の条約が履行できなく、相手の国を貶めることに血道を上げる国と、健全なる友好関係など可能であろうか?


 まだまだたくさんの史実が隠されており、およそ韓国・朝鮮の根本的な国家として、あるいは人としてのスタンスや素養は酷すぎる。基本的な史実もねじ曲げられ捏造した歴史に酔いしれ、反日のみが自国のプライドを保つ唯一の要因では、韓国の未来は閉ざされたものになるだろう。


 日本側からの視点は、このようなものである。

 

 

 もう40数年前だが仕事に疲れ人生を見つめ直すため、思い切って二週間ほど会社を休んでカナダの山奥へ行ったことがある。バンクーバーで一泊して翌日夕刻、寝台列車にてジャスパーへ向かった。ジャスパーでの宿泊先が太い丸太のログハウスだったが、その木の臭いと温もりが何とも心地よく、さらに丸太にひびが入る「ピキッ」という音が耳に残った。ジャスパーでは二泊してレイクルイーズからバンフへと行き、数泊してトレッキングや湖周りに氷河の散策など心の洗濯をした。

 帰国後、ログハウスへの夢が膨らみ、「夢の丸太小屋に住む」などの書籍を定期購読し、ログで建ててある喫茶店やレストランなどはしごをして廻った。また同じ頃に中学高校の同級生で同じ武道をやっていたK君が、自分でログハウスのメーカーを立ち上げており、展示場にお邪魔して将来のログハウス建設を相談していた。

 その後、結婚し子供も3人ほど恵まれ、借家住まいだったので家を持ちたいとログを考えていたが、趣味ならば良いのだろうが家族との実生活を考え、駅に近いマンションを選び生活基盤とした。だがやはり夢は捨てきれず、いずれはログハウスと思いながら暮らしていた。

 2010年の12月に体調を崩し精密検査の為の入院をしたら、肝臓に癌が二箇所ほど見つかり年明けに入院手術をすることになった。肝臓の癌はかなり大きくて開腹手術になり、当初の予定では5時間程度と言われていたが、手術から目が覚めたときには11時間以上が経過していた。

 その後のリハビリ中にノロウイルスに感染したり、腹水や胸水がたまり続け入院期間が40日超となった。癌の摘出は右葉全部と胆嚢を摘出、医者によれば癒着が酷く剥がすのに大変だったとのこと。ステージは4で5年余命率は30%以下と言われ、一年間は毎月通院しMRIと血液検査を行い、順調にいけばその後は半年に一度の検査となるとのことだった。

 退院してすぐに東日本大震災に遭遇したが、幸いにも被害はなく身体も再発や転移なども見られなかった。ただ手術後1年目に手術部分のヘルニアで再入院して手術をしたが、このころから足のむくみが酷くなり腎臓の機能が低下してきた。腎臓は決して回復することはなく、機能低下を送らせることしか出来ずいずれは人工透析導入になるといわれた。

 何とか透析にならないようにとしていたが、それから2年目にはついに人工透析導入となってしまった。人工透析は週3回4時間が基本で、重篤な場合は5時間透析もあり、死ぬまで一生続くことになる。回避するには腎臓の移植しか方法はなく、生体腎移植はドナーの問題や倫理上の問題があり、死体腎移植は絶対数の少なさと移植待ちの人数の多さでまず不可能である。ちなみに現在の透析患者数は30万人を超えており、毎年数万人ずつ増えているそうである。

 身体に弱いところがでると様々な部分が悪くなり、透析導入後に1年目と2年目に腰痛でまったく動けなくなってしまい、透析を行っている病院に入院させてもらい透析を行った。入院中に考えることは、自分の人生がこのままでよいのか?自分のやりたいことを生きているうちにやっておくべきなのではないのか?と、自分を見つめ直していた。

 結局、40数年前の夢に戻り「ログハウスに住む!」と決め、土地の取得やログメーカーの見学に内覧会など数多く行った。自分の条件として、いずれ通院が不可能になった場合、自宅で在宅透析ができるバリアフリーの住宅とした。各メーカーでは私の希望通りには無理があり、友人のK君に相談したところ親身になって望みを叶えてくれることになった。

 昨年12月中旬に地鎮祭を行い、今年に入ってからようやく着工となった。当初の希望よりは狭い建物になってしまったが、自分でレイアウトを書き基本設計を行ってK君にそれを形にしてもらった。ただK君も事業を縮小しており様々な工手の下職を探すのは、私が行ったり地盤調査も私の関係先の地盤調査会社に頼んだ。手間はメーカーに頼むよりかかるが、これもまた楽しい時間である。

 ちょうど本日は基礎のベースコンクリートを打設していたが、今月下旬にはいよいよログの組み立てに入る予定である。毎日毎日図面を見ながら、家具やピアノの置き場所など妄想に耽っている。人生は一度きり、悔いのないようにやりたいことをやってお迎えを終の棲家で待つことにする。

 

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二年半ほど前に体調を崩してから、ずっと放置しておりました。その間、フェイスブックでは色々と書き殴ってきましたが、そろそろブログの方も書いてみようと思います。不定期になりますが、お暇な方は是非ともお読み頂ければ幸いです。