天安門事件というと、今から31年前1989年6月4日(日曜日)に北京市にある天安門広場にて「六四天安門事件」が起きている。
「六四天安門事件」では、人民解放軍の完全武装された部隊が投入され、天安門広場を埋め尽くした、民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して無差別に発砲した。
当初支那共産党政権は、この争乱による死者は一人もおらず、血が流された事実はないと言っていた。しかし後の発表では、「事件による死者は319人」となっている。
しかしウィキペディアを読むと、ニューヨーク・タイムズのニコラス・クリストフによれば「正確な死亡者数は、おそらくは分かっていないだろう。そして、数千の人間が証拠を残すことなく殺されたかもしれない。しかし、今現在入手できる証拠に基づけば、400人から800人の民間人と一緒に、およそ50人の兵士と警官も殺されたことは確かなようだ」と語っている。
この大きな人民弾圧事件に関し、西側諸国だけでなく東側諸国を含む世界各国では、大きな驚きと怒りをもって報道された。
支那国内においては、事件後には平常時にも増して報道管制が強化されたため、事件に対する詳細な報道は殆ど行われなくなった。
国際政治で孤立感を深める支那共産党政権は、1992年4月、天安門事件のイメージを払拭するため、天皇陛下の訪中を正式に要請した。
当時、日本側は天皇訪中に対して慎重な態度を見せていた。外務省、日本の世論、政界においても同様だった。
宮沢喜一首相は表面的な日中国交20周年を理由に「日中友好」というお題目を唱えるだけで、強い懸念があるにもかかわらず国民的合意を得ず、強引に実現させてしまった。
その後、支那は天皇陛下訪中をきっかけとして、世界の批判をかわすことに成功し、西側諸国からの制裁を解除でき、経済的な逼迫からも逃れることができた。
そのような日本に対する恩があるにもかかわらず、1998年11月26日、国賓として来日した江沢民国家主席は、礼儀を失するばかりか日本批判を晩餐会で演説した。
また江沢民による「反日教育」は、支那国民を欺き続け日支離反を那共産党一党独裁のため政治利用し今日に至っているが、多くの支那国民は真実に気がつき始めている。
支那共産党がどんなに言論統制をし報道規制をかけようが、真実を欺き続けることは鎖国でもしない限り不可能である。
支那国内の様々なゆがみに正面から向かわず、表面を取り繕うばかりの一党独裁政権は、対外的な敵を作ることによって国をまとめようとする危険な政権である。
世界中の国々が支那の危うさに気づき、包囲網を構築しつつあるなか、支那は「人民共和国」を標榜するのならば、今一度建国の理念に立ち返る必要がある。
また日本に対し捏造の歴史を正視するように難癖をつける前に、支那自国の天安門事件だけでなく文化大革命など、様々な負の歴史遺産を正視して人民に正しい歴史を教育すべきだろう。
31年前、自由を求め犠牲となられた多くの方々に、心から哀悼の念を表します。
合掌
https://www.youtube.com/watch?v=NvrUC-CcFVo
