この記事は1/20の【眠らない娘・・・中学校編】の続きになります。



何とか高校に内部進学させてもらえた娘でしたが、高校生になったからといって、自動的に娘の問題が解決するわけはありません。

相変わらず夜眠らない、朝起きられない、日中眠い・・・という毎日が続いていました。(←この頃は引き続き成績のことで学校から注意されてばかりで、睡眠のことはすでに「前からのことだし、大した問題ではない」的な扱いとなっておりました)


おまけに私立の進学校は勉強の進度が恐ろしく速く、これまでですら赤点ギリギリしか取れずにきた娘が授業についていくことは、もはや不可能な状態だったようです。
 

(私たちは知りませんでしたが、中高一貫校では中学での学習内容を中学2年生までで済ませて、中学3年生からは高校の学習内容が始まるのですね目。田舎の公立中・高校出身の夫と私は「中学時代はまぁまぁ授業について行けてたら、高校に入ってから頑張り始めても大学受験には十分間に合う」などと甘く考えておりました。そんな認識の甘さが、娘が中1のスタートダッシュですでにつまづいていることを見逃す一因になったのかもしれません。中学1年生の1学期、娘に「今から本気で勉強を続けておかないと大変なことになる」とアドバイスするどころか、勉強もそこそこにマンガやゲームなど共通のオタク趣味を持つ友人たちと楽しく過ごしている娘を「今は学校が楽しければいい」と自由にさせていましたし・・・)


 

娘は、中学3年生の時は高校に進学するために多少は頑張ったようでしたが、無事高校生になることができて安心したのか気が緩んだのか、高1の1学期から成績はすでに再び急降下していました。

それでも、娘は遅刻も欠席もすることもなく楽しそうに学校に通っておりましたので(何なら熱があっても休みたくないと登校していました)、まさか成績が悪いだけで『留年』することがあるなんて、私たちは想像だにしていませんでした。
 

 


それが現実問題としてにわかに私たちに突きつけられたのは、高校1年生の3学期になってすぐのことでした。
「1、2学期の成績が相当悪いので、それを挽回できるほどの成績が3学期に取れなければ、2年生に進級することはできません」

そう言われて驚いた私たちは、娘にさかんにハッパをかけたり、叱ったり、あの手この手で勉強させようとしました。
その結果、娘も多少は頑張っているように私たちの目には見えたのですが、進学校の試験はそんな付け焼き刃でどうにかなるほど甘くはありませんでした。


3学期の期末試験の後、私は学校から呼び出され、娘の成績表を前に、担任の先生から
「3学期は頑張ったようですが、1学期と2学期の成績とあわせると進級の条件よりも赤点が1つ多く、職員会議で留年が決定しました」
と告げられたのです。

担任の先生は
「3学期は少しですが成績も上がったので、僕としても何とかならないか一生懸命掛け合ったのですが、無理でした」
と残念そうに仰っていました。

「そうですか。どうもありがとうございました。すべては娘が招いたことですので、仕方がないと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
と頭を下げた私の隣で、娘は淡々と自分の成績表を見つめていました。

その時になって初めて気付いたのですが、成績表の数学の欄に「0点」と書かれています。

娘は理系に進んでいたので、数学が難しいことは分かります。
ですが「0点」とはどういうことなのか、私には理解できませんでした。
小さな計算問題もあるのに、それすら解けなかったのでしょうか?
いくら何でも文章題の部分点くらいあるはず。
まさか白紙で出したとか?
部分点すらもらえないほど、まったく分かっていないだけ?

担任の先生は
「実はこの数学の『0点』が大きかったんです。これさえ何とかなっていれば・・・」
とため息をついておられました。

とはいえ娘のことなので、本当に何も書けないくらい分からなかったとしてもおかしくないな、と考え、私には今さら追及する気も娘を責める気持ちも起こりませんでした。


担任の先生との話が終わり、私だけ廊下で娘を待っていた時でした。
ちょうど数学の担当で、中学3年生の時に娘の担任でもあった先生が通りかかったので、私は近寄って声をかけました。
「去年はいろいろお世話になり、ありがとうございました。何とか高校に上げて下さったのに、結局こういう結果になってしまい、本当に申し訳ありません」
そして先生に訊ねます。
「数学が特にできないみたいですが、すでに高2の範囲まで終わってますよね? 今まで理解できていない範囲はどうすればいいのでしょう? 留年して、一から私が教えたとして、今から何とかなるものなのでしょうか?」

進級、あるいは大学受験に向けての勉強は、高校1年生、いえ中学生の時からの学習内容の積み重ねだと思います。
留年してもう1年やり直したからといって、ずっと成績不振で理解できていない範囲が山のように積み重なっている娘が何とかなるとは、正直とても思えませんでした。

不安でいっぱいの私に、その先生はあっさりと即答されました。
「無理でしょうね」

それに付け加えて先生は、非難めいた、呆れたような口調で、以下のようなことを仰いました。
「冬休みの前に課題を出して、『1月末までに提出したら点数をあげる』と言っておいたのに、それすら出さなかった。冬休みが終わった時点で半分くらい済ませていたから『よし』と思っていたのに、結局提出しなかったのだから、もうどうしようもありません」

 


その課題のことなら、私も知っていました。
問題集を1冊与えられ、娘は提出期限よりもずいぶん速いペースで一生懸命解いていたので、私も完全に安心しきっていました。
にもかかわらずまさか提出すらしていなかったなんて、思ってもいませんでした。



その後そのことで娘を叱ったとは思うのですが、もうよく覚えていません。
それよりもその時は、
『(今さら勉強しても追いつくのは)無理でしょうね』
と、一顧の値だにしないかのように完全に否定されてしまったことが、私にはとてもショックでした。
まるで”何をしても無駄”と切り捨てられたかのような、一縷の望みも、1%の可能性すらもないと見捨てられたかのような気がしたのです。

と同時に、目が覚めました。

「ああ、娘はこの高校にいてももう無理なんだな・・・・・・」


のちに、この時の数学の先生が娘の進級に強固に反対したという事実を聞きました。
それでも、娘も私も「悪いのは頑張らなかった娘自身」だと思っていますし、今でもその気持ちは変わりません。
特に娘は、学校にも先生にも何のわだかまりもなければ、逆恨みすることもなく、今でも毎年のように高校の同窓会に参加するほどです。(卒業もできてないのに、毎年お誘いの葉書を送ってくれる同級生も優しいですよね流れ星



――でも。

成績が悪いことよりも、進級のかかった大事な課題を提出できなかったことこそが本当は問題なのだと、その時に私たちが気が付いていれば。

数学の先生が、娘が課題を提出しなかったことを「せっかくチャンスを与えたのにそれすら提出しないなんて」と呆れて怒って0点をつけるだけではなく、教師の中の誰か1人だけでも『発達障害』の知識を持ってらして、「もしかしたら・・・」と気が付いていて下さったら。


――恨んでもいませんし、悪いのは100%自分たちだという考えにわずかも変わりはありません。とはいえ『発達障害』について知った今は、「もしもあの時点で気が付いていたら、”現在”は少しは変わっていたのではないかしら。その後の人生で、今のように娘に無理をさせずに済んだのではないかしら」、ついそんなことを考えてしまいます。
でもこれって、完全に責任転嫁ですね。ダメです手

>教師の中の誰か1人だけでも『発達障害』の知識を持ってらして、「もしかしたら・・・」と気が付いていて下さったら。

この部分に関しましては、先生たちはそれぞれの教科の専門家ではあっても、発達障害に関して専門的な勉強をされているわけではないので、残念ながら今の教育体制では難しいということを、いただいたメッセージで教えていただきました。
その代わり、家庭の方から「発達障害です」と相談させていただいた場合、学校側はきちんと対応・対策を考えて下さるそうです。
私ったら何も知らずに学校側を非難するようなことを書いてしまい・・・お世話になった先生方にも申し訳なく、また読んで下さった方々に不快な思いをさせてしまったのでは、と反省しています。本当に申し訳ありませんでした。
そして教えて下さった方(お名前をお出ししていいかどうか分かりませんでしたのでここでは伏せさせていただきますね)、本当にどうもありがとうございました。励ましのお言葉にも、感謝の気持ちでいっぱいです
✨️


それから何度も家族で話し合い、娘の「1学年下の子たちに混じって学校に通う自信も、もう1年頑張ったからといって学校の勉強についていける自信もない」という思いもあって、私たちは『留年』ではなく『退学』という道を選ぶことになりました。

 


そして3学期の終わりにその決意を担任の先生に伝えたところ、引き留められはしたものの、正式に娘は退学することが決まりました。

「学校に置いてある荷物もあるので、明日の終業式に行かせて、持って帰らせます。クラスメートとお別れもしたいので」
と電話でお願いした私に、先生は仰いました。
「3学期の終業式は『修了式』といって、高校1年生を”修了”した生徒だけが出席できます。なので2年生に進級できなかった娘さんは出席することはできませんので、明日の登校はご遠慮下さい」
 

 

そのことを伝えた時、淡々と『退学』を選んだ娘が初めてとても寂しそうな表情を見せたことを、私は今でも忘れることができません。



こうして娘は4年間ともに過ごした友人たちに「さよなら」も「今までありがとう」とも伝えることができないまま、学校を去ることになったのでした。
(そのことだけが今も本人は心残りだそうです←自分が蒔いた種ですけどね🌱)




*ちなみにその時はぜんぜん知らなかったのですが、『高校中退』とは高校2年生に進級して以降に退学した場合のことで、娘のように高校2年生になれずに辞めた場合の学歴は『中卒』になるのだそうです。そうか…娘は『高校中退』にすらなれないのか……と結構ショックでしたぐすん汗