1月3日。
FAXした初診予約申込書の返事はいつくるのだろう。
なるべく早く診てもらえるといいなぁ。
ポチった本も早く届くといいな。
そんなことを考えつつも、私の頭の中は後悔でいっぱいでした。
間違いなく、赤ちゃんの時から徴候はあったのです。
他の子とは、どこかが違う。
夜なかなか寝ないし、朝は起きられない。
保育園の頃は無理やり起こしてボーッとしたまま連れて行くことも可能でしたが、学校に通い始めるとそうはいかない。
毎日まるで戦争で、親の方も朝からイライラ・遅刻寸前で疲労困憊。
宿題はちゃんとしているのに忘れて行くし、配布されたプリントは親に出さないし。
決して学力が低いわけではなく、友だちも普通にいたけれど、学年が進むほど学校生活に支障が出てきて、ついにはドロップアウト。
ずるずると『普通の道』から外れていく状況を何とかしようとして、私がしてきたことは、
「どうして誰にでもできることができないの」
「どうして何回言っても分からないの」
と怒り、夜早めにベッドに押し込んだり、朝から叱りつけたり、何とか『他の子と同じように』矯正しようと強いることばかりでした。
なぜなら、
「なぜ分からないの?」
「なんでできないの?」
と訊ねても貝のように口を閉ざすばかりの娘は、私にとっては「意志の弱い」「怠け者」で、「いくら怒っても言うことをきかない」「困った」人間としか思えなかったからです。
(もちろん、いいところもいっぱいあるのですよ! )
でも、もしそうではなかったのだとしたら。
昨日読んだ記事にあったように、本当は言われた通りにしたいのに、どうしてもできなくて、娘自身は精一杯頑張っていたのだとしたら。
頭ごなしに怒られ、注意されっぱなし、否定されっぱなしの二十数年間は、娘にとってどれほど長くつらかったことでしょう。
娘がこれまでどんな思いをしてきたかを考えると、自分の勉強不足が申し訳なくて涙が出そうになりました。
反面、不思議と私の心は少しだけ軽くなっていました。
今までの私は、友人や同僚のお子さんたちと比べてわが子の状況が恥ずかしく、「うちの娘は人間失格だからね~」と自嘲気味に笑い話にするのが常でした。
(高卒認定試験に合格した後も、大学に入れるまでに数年かかってますしね)
何とか大学に入学できたものだから、高校を中退したことは「過去のこと」として話すことができるようになりました。
ですが一年前に留年したことは、いまだに肉親以外には話せていません。
でも、
「娘は決して『人間失格』や『人生の落伍者』ではなく、どうしようもない一面もあったのだ」
と思えたことで、私はどこか救われた気持ちになれていました。
(おばあちゃんに初めて「発達障害じゃない?」と言われた時はあれほど拒絶反応を起こしてたくせに、ゲンキンなものですよね。あらためて同じ発達障害をお持ちの方々に申し訳ないです・・・😢)
だからといって、今後すんなりと治療ができ、状況が改善して、来年必ず合格できるという保証はどこにもありません。
私にできることはごくごく限られていて、結局は本人次第、という状況に変わりはないのです。
(ついでにいうとまだ専門の方に診ていただいたわけでもないので、やっぱり娘はただの怠け者かも・・・😰)
余談になりますが、怒濤のごとく過ぎた3日間で気が付いていませんでしたが、私自身もそうとう参っていたのかもしれません。
3日の夕方、左頬にΦ2cmくらいの地図状の発赤を発見して
「何だろう?」
と思っていたら、翌朝顔を洗った時にヒリヒリヒリ・・・。
生まれて初めての帯状疱疹でした。
免疫力が低下するほど、大晦日から始まった悪夢がストレスになっていたのでしょうか。
幸運なことに三賀日が過ぎてすでに診療を開始しいている病院があったので、急いで受診して飲み薬をいただき、現在は順調に改善中です⤴️
ですが私が落ち込んでいる暇はありませんよね。
娘が「今の大学を卒業したい」と言っている限り、この一年は応援するしかありません。
(皆さまからいただきましたアドバイスを参考に、本当はどうすべきなのか秘かに考えつつ・・・)
ともかく、明日には本が届くはず!
今からでは遅すぎますが、頑張って学びたいと思います。
* ・・・という1月3日の決意でした。