それは4日前、お正月の準備で忙しくしていた大晦日の昼間のことでした。

郵便ポストに届いたのは、娘の在籍する大学からの封書。

胸騒ぎを覚えつつ開封すると、案の定目に飛び込んできたのは「2019年度の留年が決定しました」の文字でした。

 

 

なぜ「胸騒ぎを覚え」、かつ「案の定」だったのか―― それは、実は一年前も同じ内容の封書を受け取っていたからなのです。

 

ですがあの時は、封書が届く一週間ほど前に娘自身から、直接

「留年してしまい、卒業できないことになってしまった。ごめんなさい」

との連絡を受けていました。

けれど今年はその報告はありませんでした。

また、いつもなら大学が長期休みに入ると真っ先に帰省してくる娘が、今年に限って

「試験に向けて勉強があるので、お正月は帰らない」

と一人暮らし先に留まっていました。

 

娘の在籍している学部は、年が明けてしばらくすると国家試験があり、それに合格しなければ就職ができません。

そのため私を含む家族全員が、娘のいう『試験』とはその国家試験のことだと、何の疑いもなく思い込んでいました。

 

そこへ、また『あの』封書が届いたわけです。

いったいどういうことなのかと激しく動揺しつつ娘に電話をすると、

「ごめんなさい。どうしても言い出せなかった。来年こそは卒業できるよう、今から勉強を始めている」

との返事。

 

つまり娘のいう『勉強』とは、国家試験のことではなく、一年後の卒業試験のことだったわけか……。

 

 

「二留決定」の現実に愕然とすると同時に、はらわたが煮えくり返りました。

去年、あれほど「今年こそは本気で勉強しなさいよ。一年頑張れば、もう二度と試験勉強はしなくていいのだから。もしまた卒試に落ちたら、もう知らないからね!」と、半ば脅すように懇々と言い聞かせていたにもかかわらず、なぜこんなことになったのか、と。

 

確かに、娘の通う大学は国家試験に合格しなくてはならないという大前提があるため、卒業試験が厳しいのは事実です。

ですから一年前に初めて留年した時は、まさかという思いも腹立たしさもあったものの、「今までの娘の所業を振り返ると、ここにきてつまずくことはあらかじめ想定して、前もってそれなりの対応をしておくべきだった」という後悔も反省もありました。

そのためその後の一年間は、たびたび連絡を取り、「ちゃんと朝起きて学校に行ってる?」「もうすぐ定期試験でしょ? ちゃんと勉強しないとまた留年するよ」と口酸っぱく確認してきました。

二十代半ばを過ぎた娘にこんなことをいちいち言わなければならないのは、誠に恥ずかしく情けないことではあるのですが――。

 

一年前は油断していて留年したに違いない。大学に入ってからが、あまりにも順調過ぎたから。

だから今年は気を引き締めてみんなと同じように勉強しさえすれば、みんなと同じように合格できるはず。だってそうやってみんなちゃんと合格しているのだから。

 

――この『みんなと同じように』が娘にとっていかに難しいことかにも気が付かないで、私は簡単にそう思い込んでいたのです。

 

 

娘のこれまでの「所業」については今後触れていく予定ですが、私の頭の中には「またと当時と同じことを繰り返すのか…」という悪夢が渦巻いていました。

 

どうすればいいのだろう――。

当時もそうだったけれど、首に縄を付けて勉強させることはできない。

親の目なんていくらでも簡単に盗んで、ゲームをしたり絵を描いたり本やマンガを読んだりする。

ましてや今は離れて暮らしているのだから、当時よりももっとどうにもならない……。

 

娘の大学は一学年に在籍できる年数に制限があるそうです。

「だったら次に留年したら、もしかして娘は卒業できず、放校に…?」

「ただでさえ中卒、このままいけばそこに大学中退の学歴が加わるとはいえ、この先の人生はいったいどうなるのだろう…?」

「ちゃんと何らかの職に就いて生きていけるのだろうか…?」

「運良く何かの職に就けたとしても、何もかもが中途半端な娘が仕事を続けられるわけがない…」

 

 

そんな深い深い絶望とともに、わが家は2020年を迎えたのでした。