〜涙そうそう〜四十九日・母ちゃんいってらっしゃい | OCTAGONとVALE TUDO

〜涙そうそう〜四十九日・母ちゃんいってらっしゃい

僕には夏川りみの曲のイメージが強いのですが、元々は森山良子が意気投合したBEGINに作曲を依頼したもので、若くして亡くなった一歳上のお兄さんを想った詩だそうです。


ずっと前の曲かと思っていたら1998年と思ったよりも近年の曲「涙そうそう」




亡き母について語るのもこれで一旦終わりにしようと思います。



先日亡くなった母はこの曲をよく聴き、口ずさんでいました。



1998年、母が最も信頼し、結婚前には住み込みで嫁入り修行もしていたお姉さんが予期せぬことで急逝してしまいました。

8人兄妹の末っ子だった母は、唯一県外に嫁いでいたこのお姉さんとは特に仲が良かったので当時の落胆ぶりは見ていて痛々しいくらいだったが、どこで見つけてきたのか、この曲をよく家で流していました。


もちろん、生前施設に入居してからも、寝たきりになってからも、息を引き取る時もこの曲はずっと一緒で居室で流れていました。



今になって歌詞をたどりながら聴いているとほんといい曲だなと実感しています( ̄▽ ̄;)




晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔



母は笑顔の人でした。

もちろん厳しさもすごかったですが( ̄▽ ̄;)

何かあれば満面の笑みを浮かべて大笑いする人、

照れくさければはにかむような笑みを浮かべ、嫌なことも笑い飛ばすような人。

病が進み、認知機能が衰えても笑顔だけは絶やさなかった人でした。

施設の方も「笑顔に癒されるから」と皆が常に笑わせることを考えて、素敵な笑顔の写真もたくさん残してくれました。

「笑う」ということは、最後の最後まで残った母の根本だったと思います。

その笑顔が母に穏やかな余生を送らせてくれたのかもしれません。




この曲だけでなく、母は歌が大好きでよく職場の人たちや兄弟姉妹とカラオケに行っていました。

年代的に美空ひばりであったり、由紀さおりと安田祥子であったり、森山良子であったり、まあその類のものばかりでした( ̄▽ ̄;)


一回だけ、誕生日プレゼントで由紀さおりと安田祥子のコンサートに連れてったことがあったな( ̄▽ ̄;)周りを見たら自分はモロに浮いてましたが( ̄▽ ̄;)

一緒になって歌を口ずさむ母の横顔を見れたのも今となっては貴重な思い出となりました🤭




四十九日、納骨も無事に終わりました。

今日で丸四十八日目、最近では葬儀告別式の後に納骨も済ませてしまうのが主なようですが、長いこと家を離れていた母をしばらくゆっくり居させてあげたいと四十九日法要まで遺骨は家に置いていました。



母が亡くなる10日ほど前、神奈川県の施設に入所していた、母より10歳上のおばが旅立ち、母に遅れることちょうど1週間後、市内の施設に入所していたやはり母より10歳上のお寺のお母さんが旅立って行きました。

このお寺のお母さん、東京生まれで英語教師をしていた方でまさに才色兼備を絵に描いたような、非常に明るく綺麗な方でした。

僕も小さい頃からお世話になりましたので、こちらのお母さんにもお線香をあげさせてもらいました。


生前元気な頃は、お寺に行ってはお茶をしながら談笑したり草むしりをしたりと大変仲の良かった3人。

この景色をよく眺めていたと思います。




奇しくも同じ時期に連れ立つように逝きましたが、でも3人仲良く道に迷う事なく旅に出れたのかもしれないですし、先にいっていた兄さん姉さんともやっと再会できて、またみんなで高台から街を眺めながらワイワイやれるでしょう🍵






大変なこと、辛いこともたくさんあっただろうけど、周りの人にも恵まれて大事にしてもらって、楽しいこともいっぱいしたよな。

兄弟や仲間たちとよく温泉♨️旅行もいったよな。

孫二人にも「ばあちゃん☺️」てたくさん甘えられたよな。


初孫で大喜びして、ずっと一緒にお風呂に入ってた上の孫は美術を志して、この春大学院に進んだよ

「婆ちゃん😊」てベッタリで嬉しくて楽しくて「もういいよ( ̄▽ ̄;)」てくらいいろんな物も買ってくれたり、お出かけしてくれたよな


男の子なのに泣き虫でいつも婆ちゃんを探していた下の孫は6歳から始めた剣道をずっと辞めずに最後の1年は立派にキャプテンを勤めて、お葬式のすぐ後のインターハイ予選で完全燃焼して引退したよ

見違えるくらい逞しく生意気になった姿にたぶん目を細めて「よく頑張ったね」て笑ってただろうね

病を診断された年に生まれたけど「この子のランドセル買うまでは頑張るんだ」ってデイサービス通いながら家で頑張ったよね


俺や姉ちゃんにも「お父さんがいなくなったからって、あんた達に不憫はさせない」て笑って言ってくれたことがあったね

150cmもない小さな身体だったけどあなたは文字通り一家の大黒柱だったね

どんなに不安なことがあっても「なんとかなるよ」ていつも笑っていてくれた

生前、亡くなる1ヶ月ほど前に一番最後の満面の笑みをヘルパーさんが撮ってくれた写真、お守り代わりに家に飾っておくよ。

なにかあっても「大丈夫。なんとかなるよ」て笑いかけてくれてるようだから。


本当に長い間ありがとう。

もう十分頑張って生き抜いたから、これからはのんびりと見守っていてくれよ


とは言っても来月は新盆か😁またすぐ帰ってくるな😅

長いこと行くこともできなかったから兄弟姉妹の家に行っておしゃべりしたり、好きだった花を観にあちこち行ったり、身軽になったから落ち着かなそうだな。

元気な時は年中無休てくらい動き回ってたもんな。






永遠の別れじゃない。

またどこかで会えると思ってます。

目を閉じれば記憶の中にはいつも笑顔の母がいます。


だから、さよならではなく


母ちゃん、気をつけていってらっしゃい👋

先に行って待っててくれ。













作詞:森山良子 作曲:BEGIN


古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中
励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して
よみがえる日は 涙そうそう

一番星に祈る
それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空
心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも
おもうあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか
会えると信じ 生きてゆく

晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて
君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて
君への想い 涙そうそう