当地から南へ250キロほど走ると、その町はあります。


つまり九州。


車で九州へ渡るとなると、当然この橋。



壇之浦Pから間近に見上げ。


対岸は門司。

おっと、ここで時間を取ってては💧


というわけで、ノンストップで一気に目的地まで!


はい、無事到着しました。


重厚な建物が見えてきましたね。




北原白秋生家です。


白秋と言えば柳川、柳川と言えば白秋。


と、そんな具合に、これほど文学者とその出身地とが密接に語られることは他にあまり例がないかもしれません。


それほどに濃いとされる白秋と柳川の関係性。


それは、おそらくこうした一節によるものと思われます。


私の郷里柳河は水郷である。
さうして静かな廃市の一つである。
(中略)
水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である。
        ~北原白秋「思ひ出~抒情小曲集」


このあまりにも有名な一節により、この柳川の地は、文学史上最も抒情的感傷と共に記憶される町になったと言えるでしょう。


また・・。

「・・・さながら水に浮いた灰色の柩である。」

この一節にインスパイアされ、タイトルもまさに「廃市」とした短編小説を書いたのは福永武彦でした。

夏目漱石の後期諸作品を思わせる哀しい三角関係と、そこに見られる愛の不可能性を描いた美しい小説「廃市」。


この小説「廃市」をここ柳川で映画化したのが、いわゆる尾道三部作等で知られる大林監督。


と、こんなふうに、私にとっても少なからず幾ばくかの感慨が起こるこの水郷柳川の町。


実はこれまで2回来てるんですが、最後に来たのはもう20年前にもなると気づいて、今更ながら時の速さに唖然。笑


それに、その2回ともかなりの大人数で来てしまってて、ゆっくり見て歩くこともできてなかったことから、正直記憶も定かではなく💦


そういう訳で、またまたブログネタ集めも兼ねてやってきた次第です。笑



それでは、まず白秋生家内部から。


入るとすぐ左手に、こんな酒樽がたくさん見られます。

白秋の本名は北原隆吉。

北原家は、代々柳河藩御用達の海産物問屋として広く知られた旧家で、父親の代では酒造業を主とし、使用人が七~八十人いたほど栄えていたとされています。

だから酒樽。


そんな旧家に嫡子として生まれた白秋はトンカジョンと呼ばれ、とても大切に育てられたことが彼の多くの作品からも窺えます。


このトンカジョンという異国じみた呼び名も、ここ柳川の地が、当時長崎や鹿児島などとの海上交通により盛んであったろうことを表しているとも。


大小に張り巡らされた運河による舟運がもたらす、異国情緒の雰囲気さえ感じられるこの柳川の町。

そんな柳川で多感な少年時代を過ごしたことが、後の「邪宗門」等の詩作に大きな影響を与えたこともよく知られているところです。


それはともあれ、生家内部の続きを。


土間の左手には様々な展示もあり。



その奥には彼の等身大写真も。



各部屋はこんな感じになってます。













さて。

先ほどの等身大写真がある土間から出て。

更に進むと。

彼の書斎が復元された建物も。







そして、更にそこから先に進んでいくと。


また蔵があって。





そこを過ぎると小さな運河も・・。


いい感じです♪


そして、この通路を通って。

奥に進むと。


こんな立派な建物が!


北原白秋記念館です。

力入ってますよねぇ~。笑


正面玄関には、先ほどの生家にもあったあの等身大写真がお出迎え。



残念ながら内部は撮影不可でしたが、年譜やたくさんの写真、そして、夥しい詩作品等の展示により、彼の生涯が丁寧に説明されていました。


購入した冊子から、彼の少年時代の写真を2枚ほどご紹介。


これは、小学生の頃。
前列左から4人目が白秋。
ちなみに、小学校は首席で卒業とのこと。


こちらは、伝習館中学時代。
前列左端が白秋。
この頃から文学への憧憬が強くなったようです。


生家がある沖の端の様子も少し。







生家近くにはこんな神社も。





水天宮です。




立花家に由来してるんですね。


水天宮近くにはこんな賑やかな広場も。





柳川と言えばやっぱりさげもんですよね♪


白秋生家近く、沖の端の雰囲気をよく表す運河沿いを歩いてみました。








次の目的地まで続くお堀端。



白秋の歌碑も見られます。


我つひに
還り来にけり倉下(くらした)や
揺るる水照(みでり)の影はありつつ
      (水路舟行~歌集「夢殿」から~)


柳川散歩、まだ続きます。