え~?

また萩なの?

どんだけ萩が好きなんだか💧


と呆れられそうですが💦



GW中の名だたる観光地はどこもとんでもなく混雑してそうで、昔からこの時期のお出かけは御法度としてる私。


とは言いながら、ここ最近のお天気続きになんだか落ち着かず。笑


新緑の中を爽快にドライブするのにちょうどいい距離は・・。


やっぱり萩?笑


言い訳ではありませんが、このブログではこれまで何度か萩をご紹介してはきましたが、そう言えば肝心のところを素通りしてたかも、と今更ながら気づいた次第。


加えて、ちょっと確認したいこともあって。


という訳で、

そうだ萩、行こう!

ということに相成りました。笑


やっぱり言い訳?笑



それに、いくらGWとは言え、萩だったらそれほどではないだろうし、と失礼ながらたかをくくってたこともあって・・。


でも・・。


甘かったですねぇ~💦


さすがの大型連休だけあって、これまで見たことないほどの人出に目をパチクリ!


と言うよりは、先述した通り、この時期の観光地は基本的に避けてた私💧


はい、世間知らずでした💦



でも、爽やかな好天に恵まれたこともあり、地元民であることもすっかり忘れて(笑)、本物の観光客の皆様に混じって久しぶりに観光客気分を満喫することができました。笑



以前ご紹介した場所と重複する部分もあるかと思いますが、これぞTHE萩!的なネタもご用意いたしましたので、ごゆっくりご覧くださいますよう(要するに今回もいつも通り写真多めということなんですが💦)、よろしくお願いいたします。




さて、萩観光のメインと言えば。


やっぱりこれ!



そう、城下町めぐりですよね♪

その目玉とされるのが、郷土の誇る維新の英傑、高杉晋作と木戸孝允の現存生家。

山口県の小中学生なら必ず一度は社会見学として訪れる場所で、私も覚えがあるのですが、正直あまり印象に残ってなくて💦

晋作ファンを公言しながらも、ふと気づけば、最後に訪れたのはいつだっけ?状態。笑

ある意味、あまりに身近にあり過ぎて、その後再訪することもないままに、というのも県民あるあるなんですよね💧


そういうわけで、今回はちょっとベタですが、萩観光定番コースとさせて頂きました。笑



まずは、二人が仕えてた萩藩に敬意を払って萩城趾から。





この天守台は昨年秋にも撮ってますが、青空に映えて美しい春色の指月山を背景にするとまた違った印象で、これはこれで新鮮な感じを受けますよね。
(と、これも言い訳?笑)









今日は観光客よろしく(笑)、天守台にも上ってみることにしました。




結構急な石段で、緊張のあまりその石段を撮るのをうっかり失念💦


ともあれ。

天守台からの眺めはこんな感じです。








ちなみに、萩城のかつての勇姿がこちら。


天守閣最上階からの眺めはさぞかし、だったでしょうねぇ~。

破却されたなんて、かえすがえすも惜しいことをしたものです💧


この萩城趾に来たのは、実はもう一つ目的があって。


それは、これ。



そう、藤棚!

この萩城趾が桜の名所であることは認識してましたが、まさかこんな大きな藤棚があったなんて知りませんでした。

今年は4月の高温のせいもあって、残念ながら花はほぼ終わりかけてましたが、それでもなんとか残ってるのをパシャリ!




まさに、名残の藤の花房を、と言ったところでしょうか。

よ~し、来年こそは見頃の時期に必ず来るぞ~!
と固く誓った私でした。笑


そして。

萩には、大きな藤棚がもう一つあることも先日知った私💧

YouTubeにも、その美しい映像が出てて。

しかも、あの有名な場所に?!

本当に迂闊でした💦

はい、今回確認したかったのは、実はその藤棚だったんです。

どこにあったかと言いますと。


ヒントはこれ。


ちょっとわかりにくいかな?

それでは、こちらは?



そろそろピンときた方も?


はい、もうおわかりですね?


そう、松下村塾です。


その松下村塾入り口正面の鳥居をくぐってすぐ左手に、こんな藤棚があったとは・・!






これまで藤の季節にここを訪れたことがなくて、全く気づきませんでした💦


今年は、先述した通りここの藤の花も開花がとても早かったとのことで、4月20日過ぎ頃にはもう満開だったとか💧


そういう訳で、ご覧の通りすっかり終わってしまってましたが💦

それでも、なんとか撮れたのがこちら。




ね?
なんとも色鮮やかな藤の花ですよね?

野田藤と言うんだそうです。

あ~、咲き誇っていたであろう姿を見たかったなぁ~、といかにも残念そうに見上げてる私をかわいそうに思ってくださったのか、園のお世話をしておられた方が、見頃の時期は本当にきれいでしたよ、来年是非いらしてくださいね、と。

はい、もちろん!と私。笑


で、この藤棚で驚かされたのは、これ!


幹の下の部分からこんなに濃い色の藤の花が咲いてて・・。

なんとも力強い生命力を見た思いがしました。




さて、藤棚の確認も無事済ませましたし、それでは、萩観光城下町めぐりへと参りましょうか。



松下村塾から川を渡って再びお城方面へと。



野球場近くの駐車場に車を停めて、城下町入り口から入るとすぐに。




早速、どこまでも続く白壁が。



折しも夏みかんの実るこの季節。


白壁と夏みかん♪

今では、例の赤い鳥居群と海上大橋にすっかりその席を譲ってしまってますが、かつてはこんな構図の写真が山口県観光ポスターの定番でした。


萩焼のお店もところどころに見られ。





裏話をしますと、観光客の方々がどうしても写ってしまいますので、今回は道の片側からしか撮ることができませんでした💧

その旨何卒ご容赦を💦


この地区は平安古(ひやこ)と言って、昨年秋にブログUPした堀内地区と共に、武家屋敷跡が点在する萩城下町を代表する重伝建地区となっています。


しかしながら、かつての武家屋敷群も、その多くは残念ながら跡地だけになってたり新しい家が建ってたりしてるのですが、そんな中で比較的かつてのまま現存してるものが、以下紹介させて頂く高杉晋作と木戸孝允の生家ということになります。


まずは、高杉晋作生家から。




この入り口から奥に進むと、小さな庭と縁側のあるこじんまりとした平屋の日本家屋があって、その縁側から室内展示を見ることができるようになっています。


左が晋作の奥様で、右がご子息とのこと。






これは、高杉晋作の最もポピュラーな肖像ですね。






こんな井戸も残ってます。



石碑もあって。


石碑に書かれてあるのは、晋作が作ったとされるこんな歌。

西へ行く人を慕ひて東行く
我が心をば神や知るらん

西へ行く人とは西行法師のことで、自ら東行と号した時の歌とされています。


庭には、これも名残の花とも言えるツツジの花がまだ咲いていました。




さて、○○年ぶりに見学できた高杉晋作生家を出て、次は木戸孝允生家へと向かうこととしましょうか。


あ、そうそう。

生家近くの広場にはこんな像もありました。


高杉晋作像なんですが、断髪前の月代ですね。

月代姿の写真はこれまで見たことがありませんでしたので、そういった点ではある意味レアかも。笑


ちなみに、功山寺挙兵時を描いた像がこちら。


やっぱり私はこっち推しかな?笑


ともあれ、木戸孝允生家へと。






途中、こんな立派ななまこ壁がず~っと・・!



ぐるりと角を曲がって尚、まだこんなに長い壁が続いてます。




この大きな建物は一体何かと言いますと。



菊屋家(きくやけ)住宅と言って、萩藩御用達だった豪商菊屋家のお屋敷になります。


ここも、高杉晋作生家と並んでこの平安古伝建地区観光の目玉とされていて、建物内部の詳しい説明看板も設置されてありました。




これを読んだらもう中に入らなくてもいいかなとも思ったんですが(コラコラ💦)、春秋限定のお庭公開中ともありましたので、ブログ魂が頭をもたげ(笑)、やっぱり入ってみることにしました。

ここに入るのは、ひょっとしたら初めてかも。


入ってすぐ、こんな古い井戸がお出迎え♪


この井戸の奥にある玄関から入ってお座敷へと。


お座敷からはこんな感じのお庭を見ることができます。






初夏らしい風情ですね♪


続いて、お座敷近くの室内を数ヶ所見せて頂いて・・。





これは、かつて実際に商われていた頃のお店の様子だそうです。


昔ながらの竈も。

途中、蔵や井戸もあったりして。



そして、ここからは、春秋限定とされる回遊式庭園へと。




秋の真っ赤な紅葉ももちろんきれいですが、初夏の青もみじもいいですね♪


お庭をぐるりと歩いてみました。








この赤い紅葉のように見えるのは、野村楓と言って、この時期だけ赤くなるんだそうです。




そんな菊屋家住宅を後にして、再び木戸孝允生家へと向かいます。






風情のある壁が続いてます。


と、向こうからこんな出で立ちの男性が!


高杉晋作か沖田総司か、と言った感じですが。

詳しくはわかりませんでしたが、時折こういうお姿で歩いておられるとのこと。

許可を頂けましたので、UPさせて頂きました。

ありがとうございます!


さて、そうこうしてるうちに着きましたね。







後の木戸孝允、つまり桂小五郎は元々は和田家に生まれその後桂家の養子となったのですが、桂家の養母が早くに亡くなったことから、20歳くらいまでこの和田家で育ったとされています。

高杉晋作生家は中に入れませんでしたが、ここは各部屋を見学させて頂けました。



この部屋で生まれたとされています。





この掛け軸の書。
なんと、木戸孝允11歳の時の書ですと👀!
素晴らしい!


彼のお写真も幾つか展示されてありました。

断髪前と。

断髪後。
なかなかイケメンですよね♪


ところで、展示されてた中で、今回最も私の興味を引いたのはこれ!


萩城下町古地図です!

これ、欲しいなぁ~♪

って、どこに飾るの?笑

それにしても、見れば見るほど面白い!




江戸時代の古地図が今でも十分通用すると言われてるくらい、かつての町割りを残してることでも貴重とされる萩城下町。

例えば、この木戸孝允生家とさっきの高杉晋作生家がどんな位置関係にあるかと言うと。


おわかりでしょうか?

右に現在地として赤く囲んだ「和田某」とあって、左真ん中辺りに「高杉又兵衛」とありますよね。

そう、つまり、それぞれ木戸孝允と高杉晋作のおうちという訳です。

こんなに近くだったんですね。

二人がこの町筋のどこかですれ違ってたかと思うと、なんだか嬉しくなってしまいます。

もう一つ、これは受付係の方から教えて頂いたのですが、この左側に見えるくねくねとした松の木。
なんと樹齢350年とのこと!

写真からは少しわかりにくいかもしれませんが、幹がとても太いんです。

なんでも、盆栽から育てられたものとのことで、それがこんなに大きくなってるなんて、このお屋敷の歴史を感じさせますよね。



さて、それではそろそろ帰ることとしましょうか。




神社が見えてきましたが。
高杉晋作と伊藤博文がここで学んだとあります。

そうなんだぁ~。

松下村塾もそうですが、こんな感じで彼らの足跡を訪ねることができるのも、萩町歩きの楽しみの一つですよね♪


城下町入り口近くには、こんな感じの武家屋敷も。



野田家住宅と言って、これも武家屋敷の風情をよく残してる建物とされています。


駐車場近くにはこんなものも。


人力車だぁ~♪

いつかはこれに乗って優雅に城下町めぐりをしてみたいものです。

え?
もう十分だろ?

ご、ごもっとも💦



今回何年(いや、もっとかも。笑)ぶりかで平安古地区を歩いてみて、なんだかとても懐かしい感じがしました。


あの頃この町に住んでたからこそ、今思えば貴重な村下孝蔵コンサートにも行くこともできましたし。


冒頭、どんだけ萩が好きなんだか、と自嘲気味に書きましたが、確かに住んでた期間は短かったですけど、やはりいろいろな意味で私にとっては思い出深い萩の町なのかもしれません。


今ではソメイヨシノが咲き誇る松本川沿いに、幾つかの八重桜が仄かに明るかった晩春の夜も。

また、五月雨とは名ばかりの如くに驟雨が降りしきってた雨の夜も。


なぜか思い出すのは、そんな頼りなげなことばかりなのですが・・。



ここまでご覧くださり、ありがとうございました。