明かりをつけましょぼんぼりに~♪

お花をあげましょ桃の花~♪


などと機嫌よく歌ってみたい桃の節句の今日ではありますが、ここにきての急な寒の戻りの中でのひな祭りとなってしまいましたね💧


そんな寒さを少しでも癒して差し上げたく、こんな豪華なお雛様をご用意させて頂きました。



当家自慢のお雛様で~す!

と言いたいところですが、もちろんそんなはずはございません。笑

このお雛様が飾ってあるのは、福岡県飯塚市のとあるお屋敷。

ひょっとして、ブログタイトルでピンときた方もおありかもしれませんね。

たとえばこのお写真とか。



お美しいですねぇ~♪

やはり、どこかしら気品が漂ってます・・。

こちらも。

儚ささえも感じさせるような・・。

そして、横向きのものも。

まさに麗人!

そんなお方の「腹心の友」がこちらの女性。


 実は・・。


そう、2014年に放送されたNHK朝ドラ「花子とアン」。

今年の大河ドラマ主演としても知られる吉高由里子がこのドラマで演じたのが、「赤毛のアン」の翻訳者であった村岡花子でした。

その村岡花子(ドラマ中では安東はな)の「腹心の友」として、仲間由紀恵が演じ一際異彩を放っていたとも言える「葉山蓮子」こそ、その美貌と歌の才から「筑紫の女王」と謳われた柳原白蓮です。

本名「伊藤あき子」。
(※「火偏」に「華」と書く「あき」の字が私のスマホに出てこないんですよ~💦)

歌人としての才があり、大正天皇のいとこでもあった彼女ですが、複雑な生い立ちを経て、九州の炭鉱王として名を馳せていた伊藤伝右衛門の妻となり、ここ飯塚市幸袋のお屋敷に住まうことになります。


こちらが二人の結婚写真。



けれど、ドラマでも描かれていましたが、その結婚は、白蓮の出奔、いわゆる「白蓮事件」によって破綻を迎えることとなってしまいました。

そのあたりの経緯を説明するとそれだけで膨大な量になってしまいますので今回は割愛させて頂きますが、実は、私自身若い時から白蓮には少なからず興味を持っていたこともあり、またいつかお話させて頂くかもしれません。

それはともあれ。

そんな白蓮ゆかりのこのお屋敷は、やがて住む人もいなくなり、その後しばらく空き家のまま放置されていましたが、平成18年(2006)2月に飯塚市の所有となり、修復工事を経て翌年4月から一般公開されるようになりました。

一時期は危うく取り壊されるという計画もあったようですが、市民から存続を望む声も上がり、結果的に市が所有することになったようです。

その存続運動のきっかけが、九州日田地方でその頃既に盛んだった商家の雛飾り展示だったとも言われています。

そういうことから、毎年この時期に飯塚市内では、ひな祭りが数ヶ所の会場で開催されることとなったようです。

そんな経緯もあって、ひな祭りの中心的会場としても一番人気とも言えるこの「旧伊藤伝右衛門邸」で毎年披露されているのが、この「座敷雛」なんです。




広いお座敷に本当にたくさんのお人形やお道具や、平安京を模した様子が設えられていて、なんだかクラクラするほどの華やかさですね。

一つ一つのお人形も本当に細やかで。







いやぁ~、まさに圧巻!





見に来た人が皆、口を揃えて「すご~い!」と・・。

いや、まったく・・。

もちろんこの座敷雛だけでなく、お屋敷中がお雛様一色となっています。


お屋敷内のご案内も含め、その様子もご紹介させて頂きますね。


冒頭に紹介させて頂いたお雛様はお屋敷玄関に飾られてあったものですが、更にその奥には、こんな古式ゆかしいお雛様も。

こちらは玄関横の応接間。

そして。

このお屋敷の呼び物の一つでもあるこの廊下。


長~い畳廊下になってます。


その廊下の窓側にも、吊るし飾りやお人形がた~くさん♪






各お部屋にもいろいろなお雛様が♪





お部屋からは、こんなふうにお庭を望むこともできます。






まだまだ続きますよ~♪





こちらは食堂だったようです。

窓も広くて、明るいお部屋。

こちらは書斎だったとか。

明治後期から昭和初期にかけて増改築を重ね建造されたとのことですが、あの当時としてはモダンで斬新とも言える設えの数々。

ちなみに、こちらは洗面所。


シャレてますよねぇ~♪

この他にも、シャワーつきのお風呂とか、当時としては非常に珍しい水洗トイレとかもあったりして・・。

伊藤伝右衛門が、白蓮を迎えるにあたって、あれこれと注文して作らせたとも言われてます。

朝日新聞に白蓮から伝右衛門に向けての「公開離縁状」が発表されたこともあり、世間の耳目を騒がせた一連の「白蓮事件」においてどうしても割りを食ってしまった感のある伝右衛門ですが、これら豪奢な設えも彼なりの愛情表現だったと言えるかもしれません。


この二階座敷が白蓮のお部屋だったようです。


ここにもお雛様。


窓からの眺めはこんな感じ。




この美しいお庭も、白蓮の孤独な心を埋めることはできなかったんですね。


そんなお屋敷を出る前に、再びお座敷雛を・・。



やっぱりすごい!笑


それではここからは、国指定名勝とされているお庭もご案内させて頂きます。






左端二階が白蓮のお部屋になるようです。

こうして見ると、やっぱり白蓮のお部屋が一番いい場所ですよね。

う~ん・・。

私も若い頃は、不遇だったとされる白蓮寄りの見方だったんですが、このお屋敷を見たりすると、年を重ねたせいか(笑)、伝右衛門さんのお気持ちもわからなくはなく。

出奔後に伝右衛門関係の結構アブない人たちが不穏な動きをしてたこともあったらしいんですが、伝右衛門が強くそれを止めたとも言われてて。

白蓮が皇族つながりだったため大事(おおごと)にしたくなかったという思いもあったとは思いますが、でも、伝右衛門の侠気(おとこぎ)が感じられるような気もします。

まぁ、このお話はそれくらいにしておいて。


ここからは、更に、お屋敷の外周りへと。


こちらは玄関です。



そして、表門。

立派ですねぇ~!



門の横にはこんな立て看板も。


ここでふと気づいたことが。


おぉ~!

長崎街道?!

あの坂本龍馬や高杉晋作も歩いたとされる?!

そうなんだぁ~!


それを知ってこの道を見ると、また特別な感慨が湧いてきてしまいます。





そうかぁ~。

この道を、彼らも・・。




旧伊藤伝右衛門邸。

かつては長崎街道の宿場町でもあった飯塚市幸袋に残る柳原白蓮ゆかりのお屋敷。

現在は国指定重要文化財となっています。

そんなゆかしい建物での、ちょっと贅沢なひな祭りを満喫させて頂きました♪

存続運動をしてくださった市民の方々には、本当に感謝しかありません。


ここまでご覧くださり、ありがとうございました。