国選定重要伝統的建築物群保存地区。


略して「重伝建」。


2021年8月時点において、全国126地区が選定されているとのこと。


有名なところでは。


秋田の角館、岐阜の高山、埼玉の川越、長野の妻籠、兵庫の龍野、京都の産寧坂、等々。


昔ながらの佇まいを残した美しい町並みの数々・・。



それら町並みの存在は知ってましたし、その中の幾つかの町には訪れたこともありました。


でも、それらを表す「重伝建」という言葉を知ったのは、恥ずかしながらつい最近のことでした。



一昨年の夏、本屋さんでふとこんなムック本を手にしたことがきっかけです。


その頃はもう、海外はもちろんのこと、国内旅行もままならなくなってましたが、そうなるとなんだか余計に行きたくなって、ちょうどその年の5月に新車を買ったこともあり、慣らし運転もかねてどこか行きたいなぁ~、とパラパラとページを捲ってたら突然こんな風景が目に飛び込んできました!

(画像はお借りしました)

どこ、これ?!
吹屋?日本のロマンティック街道?!

初めて見るんだけど~!

ロマンティック街道と聞くと、ますます心がざわつく私。笑

弁柄の赤で統一された懐かしさMAXのその風景に心鷲掴みです!

絶対行ってみた~い!


で、その秋に「Gotoトラベル」が始まったのをこれ幸いとばかりに、高速道をぶっ飛ばして(?)行って来たという訳です。

吹屋というその町はかなり山あいの奥まったところにあるんですが、突然レトロな雰囲気の赤い町並みが目の前に現れて驚きました。

ジャパンレッドと呼ばれる弁柄で財をなした豪商たちが贅を尽くして造り上げた町並みだということです。

確かに、こんな山の中にどうしてこれほど立派なお屋敷が並んでるの?という感じでしたね。

でも、小さな集落ながら均整の取れた町並みに赤い壁の建物が隙間なく並ぶ景色は、見て歩くだけでも楽しいものでした。

そして、この町並みの説明に書かれてあった言葉が「重伝建」でした。


これを話すと呆れられるかもしれませんが、その時廻った岡山県山間部があまりにも気に入ってしまい、岡山・広島を中心にその秋だけで計3回も出掛けてしまいました。

尾道・津山・高梁・真庭・勝山・矢作・鞆の浦・御手洗等々。

特に、鞆の浦と御手洗は昔ながらの細い路地に古風な家が建ち並び、とても風情を感じさせる町並みで印象的でした。

しまなみ海道や瀬戸大橋、村上水軍ゆかりの因島などをドライブしたのも爽快な気分で楽しかったですねぇ~!
ただ、残念ながら、水軍本拠地の能島に渡ることは叶いませんでしたが💧

そうそう、峻険な山城として有名な備中松山城にも上ったんです。
でもこれ、正直大変でした💦


それからもう1つ、吹屋近くにある広兼邸も興味深いものでした。

ここは、ご存知の方も多いと思いますが、あの「祟りじゃ~、八つ墓村の祟りじゃ~!」で知られる映画「八つ墓村」のロケ地にもなったお屋敷です。

(画像はお借りしました)

この地域の豪農として知られる大庄屋のお屋敷なのですが、広い農地が見渡せる高台にあり、お城かと見紛うほどの石垣の上に立つ様子は、往時の威勢のほどが伺えるものでした。
蔵も確か3つあったかと記憶してます。

中でも物見櫓は圧巻で、もちろん盗賊防止のためもあるんですが、実は農民一揆に備えてのものであったということを聞くと、当時の農村の厳しい現実に思いを致さざるを得ません。


と、またまた思い出話が長くなってしまいましたが、その頃買った旅関連ムック本も合わせて紹介させて頂きます。


本当に買い込んでますねぇ~💧
どんだけ旅に出たかったんだか💦

まぁ、いつものことではありますが💦


で、その重伝建。

もちろん当県にも5件ほどございます!
その5件のうち、4つが萩市にあります。


そのうちの1つである佐々並市(いち)に先週行って来ました。

写真も少し撮って来ましたので、としれっと言ってますが、はい、もちろんブログネタ狙いです💦


それでは・・。


町に入るとすぐに、こんな立派な石碑が!

重伝建に選定された経緯が書かれた看板も、時代劇に出てくるような高札風。

こんなクリアファイルまでありましたよ。

裏には詳しい説明が。

これは別のパンフの一部。
そう、この山あいの小さな集落は、江戸時代に毛利の殿様が参勤交代するために整備した道、いわゆる「萩往還」の途中の宿場町として栄えたところだったんです。


上のクリアファイルとパンフを頂いたところはこちらです。
現在は観光用「おもてなし茶屋」とされていますが、江戸時代にあった目代所の跡地に建てられていて、150年くらい前の建物だということです。

内部撮影も許可して頂けました。

旅館として使われていたとのことです。
なぜか左右に階段が2つあるんですが、この階段が急で💦
まぁ、昔のおうちの階段って大体そんな感じなんですけどね💧

裏庭も見せて頂けました。

井戸です。

池も。
この写真ではちょっとわかりませんが、池の中では今や絶滅を危惧されてるメダカがたくさん泳いでました。笑

なぜか水車も。
ただし、これは最近設置されたとのこと。
でしょうね。笑


お2階にも上がらせて頂きました。


窓からはこんな景色が望めます。

風が通り抜けて、遠くには山も見えて、とても気持ちのいいお部屋でした。



ここからは、「萩往還」の雰囲気を残す町並みの様子を少し。






お約束のご当地マンホール。
萩往還の石畳が描かれています。


ここから、萩往還の道を、山、つまり萩方面に向かって歩いてみました。


途中にはこんな小さな滝も。

この滝は江戸時代の頃のままだと言いますから、吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・木戸孝允(桂小五郎)・伊藤博文・坂本龍馬等々、幕末の志士たちもこの滝の流れを見たのかなと、ちょっとした感慨に耽ってしまいました。笑


青い看板は萩往還の表示です。
左上部が萩方面、下が佐々並市方面となります。


どんどん上って行きます。


そして、道は、昼尚暗い鬱蒼とした杉に囲まれた山道へと💦
いやぁ~、この細く険しい山道を大名行列が行き交ってたんですねぇ~💧

ただし、当時は石畳で整備されてたようですが。

でも、山道の勾配はやっぱり相当のものだったと思われます💦


山道手前の高台には、こんな大きな立て看板が。

この高台からはこんな風景が見られます。
お殿様も、この開けた風景を見てほっとされたことでしょうね。

再び、小道を下りて、佐々並の町へと戻ります。


佐々並川です。
この川を彼らも渡ったんですね・・。


ほんの少~し(笑)、私も萩往還を体験してみることができました。

それにしても、あの山道が藩で一番のメインロードだったというのもなかなかの話です。

関ヶ原で一発の弾も撃たなかったにも関わらず、防長2州に押し込められ、お城の設置場所は遥か日本海突端しか許可されなかった毛利の殿様。
やっぱり明治維新の原動力は徳川幕府への300年にわたる積年の恨みだったというのも、あながち間違いではないような気もします。

ちなみに、毎年お正月の深夜には萩城の大広間にて、密かに秘密の儀式が行われていたとか。

筆頭家老が進み出て、お殿様に「まだでございますか?」と訊くと、お殿様は「まだじゃ」と。
つまり、徳川との戦の準備はまだか、という意味なんだそうですが。

無論、真偽のほどは不明です。笑


最後に、佐々並市萩往還の路傍で見かけた花の写真を数枚ほど。

マツバギク。

キバナコスモス。

キンモクセイ。

ハナウリクサ。
(トレニア、またはナツスミレとも言うんだそうです)



ここまでご覧くださり、ありがとうございました!