まだまだ油断のならない状況だとは思いますが、コロナもここ最近は小康状態が見られ、皆さんのブログからも、お出かけのご様子を拝見させて頂くことが多くなりました。


おうちにいながらにして、素敵な風景のお写真やエッセイを楽しませて頂いてます。

ありがとうございます。


ところで、そんな旅行気分に少なからぬ影響を与えてくれる観光ポスターにも、幾ばくかの変遷が見られるようで・・。


例えばフランス。

「鉄板」のエッフェル塔は別格として、ここ近年は、海上のピラミッドと見紛う奇観モン・サン・ミッシェルや、レオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けたと言われるシャンボール城も多く見られるようになりました。


日本に話を移して、今の東京の観光ポスターということであるならば、やっぱりスカイツリー?

あ、でも、東京タワーや浅草寺雷門の人気もまだまだ健在ですよね。


実は東京大好きで、皆さんのブログに東京の話題が出される度に、テンション爆上がり(?)の私です。


それはともかく、そんなスカイツリーや東京タワー等の横綱級ランドマークとは比較にもなりませんが、当県の観光ポスターにも、ここ数年、多少の変化が起こってます。



(以下、画像は全てお借りしました)



かつての定番は、白壁に夏蜜柑。



或いは、国宝五重の塔。



さらには、5連のアーチを描く橋。




でも、ここ最近は、エメラルドブルーの海上を島へ渡る大橋と、赤い鳥居に潮吹き上げる荒磯の風景、という図柄が人気のようです。





数年前立ち寄った東京駅のみどりの窓口でも、こんな感じのポスターを見たような気がします。



さて、その大橋を島へと渡り、さらにその先の島の突端まで進んで行くと、白い灯台が立っている岬にまで辿り着くことができます。



この岬は、そのレトロな灯台の美しさとともに、早春には数多くの水仙が咲き乱れることでも有名なのですが。


もう1つ、梅雨明けのこの時期になると咲き始める、ある花の群生地であることでも知られています。


その花を思う時、いつも心に浮かぶ和歌。それは・・。



み熊野の浦の浜木綿百重なす

心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも



あの浜木綿の、花びらが幾重にも重なって咲く姿のように、あなたへの思いもまた、決して尽きることはありません。

お会いできないことの悲しみが、これほどまでに胸を塞いでいるとしても。



かなりの「意訳」をしてしまってますね、私。

ご容赦を!


でも、この歌、とても好きなんです。



この歌を初めて知ったのがいつだったかはもう覚えていませんが、いつしかこの季節になると、なんとなく心に浮かぶようになっていました。


作者はてっきり女性だとばかり思っていたのですが、柿本人麻呂だと知って、ちょっと意外な思いがしたことも・・。


すみません。

教科書掲載で人口に膾炙している「あしひきの」の歌があまり好きではなかったんですが、あれも改めて読めば、「恋歌」なんですよね。

でも、中学生当時はとてもそうは思えず、やれ枕詞だの序詞だのと、そっちの方にばかり気が行ってたような気がします。

あ~、教科書に載ってると、どうしてもお勉強の題材って感じになってしまって、ある意味不幸な出会いをしてしまうことも?笑



それはともかく、「み熊野の」の歌に話を戻しますと、実は、もう1つ思い違いをしていたことがありました。


それは、「もえど」と読む「思へど」を、てっきり「燃えど」或いは「萌えど」だと思い込んでいたことです。

え~?「思へど」だったんだ~!と。

でも、気分的には「燃・萌」の方がぴったりのような気もしてるんですが。

ってまだ言う?笑


まぁ、よくよく考えてみれば、というか、考えるまでもなく、古文の基礎文法が頭に入ってれば、そんな勘違いなど起こしようもなく・・。

つまり、「燃」或いは「萌」ということであれば「ゆれど」と続くはずですしね。


さらに恥の上塗りをするようですが、大学4年のゼミが万葉集だったことをお話すれば、私のおバカぶりにはいよいよ拍車がかかるというものです。

ホント何を勉強してたのやら💧



もちろん、あの膨大な歌の数々が全て頭に入ろうはずもなく、今でもすぐに思い浮かべることができるものは、ほんの一握り程度でしかありません。

いえ、これは決して開き直って言うのではありませんが。(汗)



そんな私でも、万葉集の中には、元々好きなエピソードが幾つかありました。



宝塚の人気演目「あかねさす紫の花」や井上靖「額田王」の題材にもなった、例の三角関係で有名なエピソードもその1つ。


そう!

額田王のこの歌が出てくるお話です。



あかねさす

紫野ゆき標野ゆき

野守は見ずや君が袖ふる



そして、この額田王の歌への返歌として、後の天武天皇となる大海人皇子が歌ったものがこれでしたね。



紫草のにほへる妹を憎くあらば

人妻ゆゑに我れ恋ひめやも



このエピソードも有名ですが、天智天皇の策略により無念の死へと追いやられる有間皇子の悲劇も涙を誘います。



家にあれば笥に盛る飯を

草枕旅にしあれば椎の葉に盛る



血で血を洗う権力闘争が繰り広げられたという一面も見られたあの時代。



今度は持統天皇によって、有間皇子同様にやはり無念の最期を迎えることとなった大津皇子の悲劇もまた・・。


弟大津皇子に捧げられた、姉大伯皇女の慟哭の歌二首も、強い印象を残しています。



わが背子を

大和へ遣るとさ夜深けて

暁露にわが立ち濡れし



二人行けど

行き過ぎ難き秋山を

いかにか君が獨り越ゆらむ




さらに。

罪を得て越前へ流される中臣宅守と、彼を愛しながらも都に残らざるを得なかった狭野茅上娘子との悲恋の歌も、万葉集の中において異彩を放っています。

今で言うところの遠距離恋愛を連想させると言うと、少し不謹慎でしょうか。



(狭野茅上娘子)

君が行く道のながてを繰り疊ね

焼きほろぼさむ天(あめ)の火もがも

       

(中臣宅守)

うるはしと吾が思(も)ふ妹を思ひつつ

行けばかもとな行きあしかるらむ




                    

そんな万葉集の数あるエピソードの中で、私が最も心惹かれたものは、やっぱり乙女チックom(って誰が呼んでるの?笑)らしいと言うべきか、穂積皇子(ほづみのみこ)と但馬皇女(たじまのひめみこ)のお話でした。


高市皇子の妃でありながら、異母兄穂積皇子との道ならぬ恋へと身を投じてゆく但馬皇女。


その但馬皇女の歌二首。



秋の田の穂向きの寄れる異寄りに

君に寄りなな

事痛(こちた)かたりとも



人言を繁み言痛(こちた)み

己が世に

未だ渡らぬ朝川渡る



文字通り、世界中を敵に回しても、私の思いはただ貴方一人へと・・。



そんな悲痛な思いが伝わってくる歌ですが、これほどの思いを寄せられた穂積皇子からの但馬皇女への歌はというと、こちらは意外なことに残っていないとされています。


え?男性の方が意気地がないの?!

と、つい、熱くなってしまった私。笑


でも、歌が残っていないからと言って、それでは穂積皇子に但馬皇女への思いがなかったのかというと、それもまた違うようです。



この後、但馬皇女は若くして亡くなってしまいますが、その死にあたって、穂積皇子が詠んだとされる歌がこの歌でした。



降る雪はあはにな降りそ

吉隠(よなはり)の猪養(ゐかひ)の岡の

寒からまくに


雪よ、そんなに降らないでおくれ。

(今は土の中で)眠っているあの人がきっと寒いだろうから・・。



やはり、穂積皇子も但馬皇女を思っていたであろうことが伝わる歌だと言えるでしょう。

でも、その思いも、彼女の死後においてようやく言葉にすることができたことを思うと、本当に切ないですね。




「み熊野の」の歌からすっかり話が飛んでしまいましたが、浜木綿に思いを託す柿本人麻呂の歌と但馬皇女の歌には、「真っ直ぐに人を恋うる」という点において共通するものがあると思います。


そして、ともに、私にとって忘れ難い歌です。




最後に、浜木綿の写真を2枚ほど。





浜木綿。

ヒガンバナ科。

花言葉は「どこか遠くへ」

或いは「汚れがない」とも。