このブログは、日々のことを書くというよりは、基本、これまでの自分の人生においての「好き」なこと、「懐かしい」ことを書いてみようと思い、始めたものでした。

でも、不思議なことに、「本当に好き」なこと(もの)ってなかなか書きづらいものなんだなぁと感じてもいます。

自分が好きなこと(もの)に対する他者からの評価も多少なりとも気になるし(気が弱いものですから。笑)、それを好きな自分を「晒す」感覚もなんだかなぁ~ということで。

何より、なぜ自分がそんなにも惹かれているのかを、その対象を「好き」過ぎるあまりに上手く説明できないような気もして。

そんな訳で、今まで「このこと」についてきちんとした形で書けてなかったんですが、でも、「私」を語るにおいて「このこと」だけは外せないということでもあり・・。

明日何が起こるかわかりませんし(笑)、やっぱりそろそろ、と思いまして。


すみません、なんだか随分大仰な出だしになってしまいましたね。(笑)


それでは・・。

はい、これが何の扉絵かと言いますと。

ご存知の方も多いと思いますが、萩尾望都「11月のギムナジウム」です。
左上から、フリーデル、オスカー、トーマ、エーリク、です。
あの「トーマの心臓」の主要登場人物とほぼ同じ名前ですが(フリーデルは「トーマ」ではユリスモール)、キャラ的にはいささか違っています。
「11月」を「トーマ」のプレ作品と見なす向きもありましたが(私も以前はそう思ってました)、萩尾望都先生ご自身、この2つの作品は全く別物で、寧ろ「トーマ」の構想の方が先だったとおっしゃっています。

それはともあれ。
全てはこの作品から始まりました。
1971年10月13日発売小学館別冊少女コミック11月号掲載。
それまでも萩尾望都作品は、「雪の子」「かわいそうなママ」「小夜の縫うゆかた」「秋の旅」などで、その抒情的な作風に注目してはいましたが、この「11月のギムナジウム」はそれらとは比べ物にならないほどの驚きを私に与えました。
今でもこの作品を読んだ時の衝撃は忘れられません。
既にこのブログで先述した通り、それまでにも少女漫画はかなり読んでいて、生意気にも私なりに少女漫画を多少はわかってるつもりでしたが(ホント生意気!笑)、この作品はそれらを一気に過去のものとしてしまいました。

何?これ?!何?この気持ち?!
これ、ちょっと違うよね?!
でも、、何が?!どこが?!
上手く言えないけど、絶対違う!!

すみません、当時14才だった女の子の語彙の少なさに免じてご容赦を。
と言いながら、その印象は今でも大して変わっていないというのが本当のところですが。(笑)
しかしながら、決して自慢する訳ではありませんが、今振り返れば、あの時14才だった私の「審美眼」はなかなかのものだったと自負しています。(笑)
私の数少ない過去の栄光とお笑いくださいませ。
思えば、あれがピークだったかも。(笑)

それにしても、なぜあれほどの衝撃を受けたのか?
上手くお伝えする自信はありませんが、この作品が私に与えた衝撃を解き明かす一端となるかもしれない場面を数ページ紹介させて頂きます。

まずは、この場面から。
オスカーの倒れてるアングルを含めた右上の構図の完成度にびっくりです。
それまで見たこともないほどの斬新さでした。
そして、わずか1ページに盛り沢山の情報量があるにも関わらず、登場人物の動きとセリフの無駄のなさ。加えてウィットの効いたセリフの数々。
今だからこんなふうに説明できますが、当時はただただ瞠目するだけでした。

そして、このお話の中でのクライマックスとも言えるこの場面。


ドキドキしましたねぇ~。(笑)
BLという言葉さえなかった時代にここまでの萌えを感じさせるとは・・。
おっと失礼!
萩尾望都先生ご自身は決して少年愛を描くつもりではなかった的なことをおっしゃっておられますが、けれど、やはりある意味においてこの「11月のギムナジウム」、そして、後に発表され名作との呼び声も高い「トーマの心臓」は、件のオタク増殖きっかけとなる嚆矢であったことは揺るがない事実だと断言できます。
でも、この作品が与えたインパクト、それは、そういうBL要素よりも寧ろ、「孤独・切なさ・不条理な死への哀しみ」といった、それまでは少女漫画ではあまり描かれることのなかった奥深い心情を描いたことが大きかったと思います。
少女漫画に従来から見られる謂わばステレオタイプ的な明るさやハッピーエンド、そのようなものとは全く無縁なその世界。
その頃身近にいた漫画友(?)に「萩尾望都っていいよね」と何気なく言ったところ、返ってきた答は「え~?暗いじゃん?よくわかんないし。」
それ以来、萩尾望都についてリアル世界で語ることはやめました💧

ともあれ、この「11月のギムナジウム」を読んでからというもの、私の脳内は萩尾望都一色に。
「あそび玉」「妖精の子守」「6月の声」・・出てくる作品全てが、新しい感覚のものとして感じられ、詩情豊かなその世界にすっかり心奪われる日々。
そして、いよいよあの名作の登場です。
それは最初「すきとおった銀の髪」という16ページの短編から密やかに始まったということも、今では有名なエピソードの1つです。

とばりの陰には永遠の美
永遠の命

扉絵に書かれたこの言葉が示す通り、それは、永遠の命を生きる兄妹エドガーとメリーベルの物語でした。
そして、この小さな水の流れが、やがてあの「ポーの一族」シリーズという大河に続く序章であることを、この時誰が予想したでしょう?
プレ「ポーの一族」として、この「すきとおった銀の髪」が別コミ1月号に、「ポーの村」7月号に、「グレンスミスの日記」が8月号にと、それぞれ独立した短編として発表されるにつれ、それを読みながら、何?この話?主人公は誰?時代は?と、頭の中は疑問符だらけでしたが、それでも、この不思議な物語世界に引き込まれて行きました。
中でも「グレンスミスの日記」。これには実はある苦い思い出が・・。

これは、その「グレンスミスの日記」の冒頭部分です。
少し読みづらいかもしれませんが、1コマ目と右上にご注目。

だれにする?
それ   これから決める

ん?これって誰のセリフ?
どういう意味?
わかんな~い!!

いつからかは記憶にありませんが、その頃既に私はなんと恐れ気もなく、萩尾望都先生に小学館編集部経由でファンレター、と言うよりは感想文らしきものを、ほぼ毎月送っていました。
で、その時も、読後湧いた素朴な疑問をこれまた怖れ知らずなことにそのまま書いてお送りした次第。
すると!
なんと!!
お返事が~!!!

頂いたお葉書にはおよそ次のような内容が書かれてあったと記憶しています。
(・・記憶してると言わざるを得ないところがなんとも・・)
まず、手紙を「おてまみ」と表現されているところも、先生の作品のコマの隅っこやエッセイなどでそういう表現が見られまでしたので、あ~、萩尾先生らしいなぁと親しみが感じられました。
内容をまとめさせて頂くと、大体こんな要旨でした。
(今回の内容公開については、コンプライアンス的な問題云々もあるのかもしれませんが、もうかれこれ50年経ってますので、ご容赦頂くとして・・)
「作品が返事だと思っているので、ファンレターのお返事を出すことは滅多にないのですが、あのセリフに対して、「なぜ?」と書いてくれたのが貴方(つまり私!)だけだったので嬉しくてお返事します・・」とのことでした。
もう1つ。
「それ   これから決める」
このセリフは本当は
「それは  これから決める」
だったのに、印刷されてるのを見たら「は」がなかったとも。
(でも、最終的には、「は」抜きの
「それ   これから決める」
の形に落ち着いたようですね。
ね?こんなお話もレアでしょ?)

もう狂喜乱舞とはこのことです!
本当に嬉しかったですねぇ~!!

え?それならどうしてそれが苦い思い出に?そう、勘のいい方はもうお察しですよね。あろうことか、私、その貴重なお返事をいつの間にやら紛失してしまうなどというあるまじき失態を冒してしまってたんです。
ごめんなさ~い、萩尾先生!😭
本当に、いつ?どこで?なぜ?そんなことになったのか、未だに不明です💧
あ~、悲し過ぎる💧

さて、気を取り直して。
この「グレンスミスの日記」。今読み返しても別の意味で秀逸だなぁと、改めて思ってるところがあります。
それは、例えばこんな場面。

ベルリンを舞台に第1次世界大戦前後から現代に生きる家族の話なのですが、このわずか2ページに、あの大戦前夜のドイツ国民一家族のささやかな生活や、そして、それが戦争によって脆くも壊されていくという様が凝縮した形で描かれていることに驚きます。もう1つ、やがては4年にも亘る悲惨な第1次世界大戦へと広がりを見せるあの戦争でしたが、短期決戦で終結するという当時の多くの人々の初期の見方を示していることにおいても、歴史的ディテールがきちんと押さえられていたんだと今更ながら感動しています。
あの有名なセリフ
「クリスマスまでには帰るよ」。
(クリスマスまでにはこの戦争は終わる。)
私がこの言葉を知ったのも、この作品が初めてでした。

ここで、ふと。
ロシアのプーチンも3月中旬までにはウクライナが降伏すると思っていたのかもしれませんが。

さて、その「ポーの一族」本編第1シリーズは、別コミ9月号から12月号に掲載されました。

ストーリー等をここでお話するのは控えさせて頂きますが、萩尾望都作品の1つの特徴とも言えるアングルとデッサンの素晴らしさを語るものとしてこんな場面を。
メリーベル亡き後、エドガーが共に永遠の旅をすることになるアランとの、運命的な出会いをする場面です。
馬の描写と言い、2人の衣装と言い、セリフがないにも関わらず、エドガーの思いも含め醸し出される雰囲気と言い、本当にイギリス映画を観てるかのような錯覚を覚えるほどです。
これも、数多くの名場面の中では屈指のものと言っていいでしょう。

もう1ページ。
メリーベルが銀の弾丸を撃たれ、倒れていく場面です。
これもやはり、わずか1ページの中に、それまでの彼女の来し方や思いが表現されていて、涙を誘うものとなっています。

そして、この場面。
自分にとって、愛であり命でもあったメリーベルの死。その受け入れ難い事実を前に、永遠の時を生きていくことを運命づけられたエドガーの、果てしない孤独と哀しみが描かれています。

以上、ここに上げたどのページも、1コマとて無駄なものは1つもなく、饒舌な説明がなくとも登場人物の心情があますところなく描かれています。

やっぱり、私、あの頃既に、「とんでもないもの」を毎月読んでたんですね~。


しかしながら、この作品の連載当時は、アンケート結果が芳しくなかったというのは有名なお話。
萩尾望都先生ご自身のお言葉を借りると「ビリ」だとも・・💦
ごめんなさい、先生!
私もアンケート出してませんでした💦
でも、あの頃の萩尾望都ファンってそんな人が結構多かったようで。
と言うのは、後にコミックスとして初版3万部売り出されたところ、なんと、3日で完売したということで、これもまた今では伝説とも言えるほどの有名なお話。
もちろん、その3万部の1は私です!
そう、みんな、アンケートはどうでもいいけど作品は大好きだったんですよ、萩尾先生!

そんな「ポーの一族」。
これまで3セット購入した私です。
最初に購入したものは、文字通り読み過ぎてページが外れたりしてしまいました。
その後購入したものがこちら。
1988年小学館刊行。
単行本仕様で、各980円。
コミックスとしてはなかなかのお値段です。
表紙がなぜ萩尾先生の絵じゃないの?
あとがきは氷室冴子でした。
帯の惹句は。

ページをめくる未知の読者が妬ましい。

・・いいですねぇ~、さすがです。

そして。
これは、昨年購入したものです。
上下各2500円だったかと。
これもなかなか強気のお値段。(笑)
もう既に1セット持っていたにも関わらずこれを買った理由は、本来のサイズであるB4版だったこともありますが、やっぱり記念として。
と言うのも、昨年は「ポーの一族」50周年記念の年でしたから。

展覧会(原画展)も開催されました。
幸いなことに、昨夏、居住地近くの美術館にも巡回してくれてましたので、コロナ下ではありましたが、意を決して行って参りました!

これ、本当に行ってよかったです!
「11月」の原画の前では、懐かしさのあまり、文字通り落涙💧

その展覧会の図録がこちらです。
これもB4版で、原画に近い雰囲気のスケッチ等もたくさん収められていて、やっぱり感涙もの💧
買ってよかったぁ~!

実は種明かしをしますと、この記事に掲載したページのほとんどは、先のB4版2冊セットとこの図録からお借りしたものです。
「11月のギムナジウム」も、原画と同じB4サイズでの復刻版が出ることを切に望みます!

原画展と言えば、実は私、高校2年(おそらく)の時に近隣都市で開催されたFC主催の原画展に行ったこともありました。
FCの名前は「メはメルヘンのメ」。
この名前、多分レイ・ブラッドベリの「ウは宇宙船のウ」から取ったものではないかと。
それとも、ドはドーナツのド?(笑)

それはともかく、FCをめぐってのお話はまた別の機会にさせて頂くとして。


そういう訳で、昨年はメモリアル・イヤーということもあり、ムック本等もいろいろ出版されていました。

以下は、そんな中から、私が購入した幾つかです。
あの「芸術新潮」ですよ~!
すごいですね。

で、こんなものも。
真ん中は「芸術新潮」と同じ表紙ですが、こちらは「とんぼの本」というムック本の走りのようなシリーズの1つになります。
左は「Eテレ100分で名著」のテキスト。
右は、河出書房新社から2010年に発行された特集本です。

こうして改めて並べてみると、相当買い込んできましたね、私。

最後に、私が現在所有している諸作品のコミックスを。

初期中期のものがほとんどです。
いえ、萩尾望都作品の現在尚続く長い歴史の中では、極初期であると言えるかもしれません。

今振り返れば、私が萩尾望都作品に夢中だった期間はわずか3年足らずという短いものであったことに、実はちょっと自分でも驚いています。
でも、それら作品群が私に及ぼした影響は計りしれません。
私の興味は、この後、専ら小説へとシフトしていく訳ですが、けれどその大元としては、この萩尾望都作品に内包するロマンの欠片をいつも追い求めていたような気もします。
レイ・ブラッドベリ、ヘッセ、カロッサ、フィッツジェラルド、サリンジャー、福永武彦、井上靖、辻邦生、北杜夫、塩野七生、皆川博子、飯島和一、須賀しのぶ、佐藤正午・・等々。
そして、一見似もつかないと思われるであろう、あの司馬遼太郎でさえ。


本当に出会えてよかったと思います。


夢はいつもかへつて行つた
山の麓のさびしい村に

と、かつてそんなふうに詠ったのは立原道造でしたが・・。


私の夢が帰る場所。
それは・・・。



すっかり長くなってしまいました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。