十五夜 中秋之名月
月を愛でる慣習は古よりあり縄文時代頃から在ると云われる
仲秋 葉月にお月見をする意は夏の作物の収穫も終り稲刈りをするまでの空く時期に稲の豊作を祈る祭を行った事が始まりとされている
お月見についての記録は延喜九年 耶蘇暦 九〇九年醍醐天皇が初めて月見の宴を開いたとの記録が在る
平安時代の月見は耶蘇暦九一九年には宇多法皇が日本独自の十三夜の月見を催した 当時の日本での月見は詩歌や管絃を楽しみつつ酒を酌むといった雅味な催し庶民とは縁の無いものだった
室町時代に入ってからも名月の日は続いた 室町後期は名月の日には月を拝み御供えをする風習が生じた
御湯殿上日記には後陽成天皇が茄子に開けた穴から月を見て祈る 名月の祝という祝儀の様子が記録されている
高級貴族達だけの風習が 江戸時代には一般庶民にも広まり大衆的な行事となる
月見が世俗化した江戸時代十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的だった その頃の庶民の月見には月見団子などの供え物の記録は見られず家庭で供え物が行われる様になったのは中期以降の事と見られる
江戸後期の風俗記録である守貞漫には十五夜の日は文机で祭壇をこしらえ供え物として江戸では球形 京阪では里芋の形をした月見団子を供えると記録されている
皇紀弐阡陸佰漆拾玖年
令和元年 長月吉日
憂丗齎 洛衟 拜上