奉祝 紀元節祭
神武天皇肇國之日
皇祖御即位 御祭典之日
辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位
於橿原宮
日本書紀卷第三、神武紀
明治五年十一月十五日 耶蘇暦 一ハ七二年十二月十五日明治政府は神武天皇の即位をもって紀元と定めた
今般太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被爲告候爲メ来ル廿五日御祭典被執行候事
但當日服者参朝可憚事
太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典
第一月廿九日 神武天皇御即位相當日ニ付祝日ト被定例年御祭典被執行候事
神武天皇御即位祝日例年御祭典
明治六年 耶蘇暦一ハ七三年一月二十九日 神武天皇即位日を祝って神武天皇御陵遙拜式が各地で行われた
同年三月七日には神武天皇即位日を紀元節と称することを定めた
同年一月には神武天皇即位日と天長節を祝日とする布告を出している
神武天皇御即位日紀元節ト被稱候事
神武天皇御即位日紀元節ト稱セラル
今般改暦ニ付人日上巳端午七夕重陽ノ五節ヲ廃シ神武天皇即位日天長節ノ両日ヲ以テ自今祝日ト被定候事
五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム
諸祭典等舊曆月日ヲ新曆月日ニ相當シ施行可致事
太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス
明治政府は耶蘇暦 一ハ七三年十月十四日新たに神武天皇即位日を定め直し二月十一日を紀元節とした
年中祭日祝日等ノ休暇日左ノ通候條此旨布告候事
年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム
紀元節が祭日とされていた時には当日 宮中の賢所 皇霊殿 神殿にて紀元節祭が行われ紀元節の祝宴も行われた
全國の神社においても紀元節祭が行われた
紀元節祭は初めて紀元節とされた明治六年 耶蘇暦一ハ七三年一月二十九に宮中の皇霊殿にて行われたのが最初である
この時には皇霊殿においてのみ祭祀が行われた
大正三年より全國の神社でも紀元節祭を行う様に定められ昭和二年の皇室祭祀令の一部改正によって賢所
皇霊殿 神殿 宮中三殿において行われるようになった
皇室祭祀令に大祭とされ御親祭が行われた
天皇陛下の出御は午前九時三十分 御拝礼御告文を奏して入御ついで皇后陛下、皇太后の御拝、皇族の御拝がある
当夜は賢所御神楽の儀に準じて皇霊殿に御神楽の奏楽があり、このとき天皇陛下が御拝し入御ののち神楽に移った
皇祖神 大御祖神 伊势神宮
官國幣社以下の神社においては大正三年より中祭式で祭典が行われた
昭和二十二年 皇室祭祀令廃止
昭和二十三年の祝祭日廃止を受け昭和二四年以降、宮中祭祀において紀元節祭は行われなくなった
しかし先帝陛下 昭和天皇も今上天皇も二月十一日には宮中三殿で臨時御拝を行い橿原神宮へ勅使が派遣されている
御神楽奉納は四月三日神武天皇祭に併せて行われている
昭和四十二年の建國記念日制定以降、全國の神社でも再び紀元節祭が行われるようになった
皇祖神 大御祖神 天照坐皇大御神
皇大神宮遙拜
御饌都神 豊受大御神
豊受大神宮 遙拜
伊势神宮
内宮 外宮 別宮 摂社 末社 所管社 遙拜
橿原神宮 遙拜
神武天皇御陵 遙拜
(我撮綠)
皇居遥拜
萬丗一系皇國日本
現津御神 大元帥天皇陛下 萬歳
盡忠報國 七生報國
皇紀弐阡陸佰漆拾玖年
平成參拾壱年 如月捨壱日
憂丗齎 洛衟 九拜








