司馬遼太郎はヘビースモカーであったため、典型的なたばこ関連疾患の一つ、腹部大動脈瘤が知らない間に発症、拡大し、その破裂によって命を奪われたと記憶している。この博学な人でさえ騙されたのだから、たばこは全く狡猾犯だ。自分はこの事実ゆえにこの作家の名前をよく知っているが著書はほとんど読んでいない。だが最近昔買い込み本棚に眠らせておいたこの作家の「空海の風景」を読んだ。で、自問したのは司馬遼太郎という人は歴史的文学者なのか文学的歴史学者なのかということだ。正解は前者だろうが、その知識の該博さは歴史学者を思わせる。この伝記は著者の、空海とその時代についての驚くべき歴史的知識に支えられた「力作」である。ここで、近藤誠本がベストセラーとして売れている理由を説明できる人がどれ位いるだろうかと問う。近藤誠は医学的文学者なのか、文学的医学者なのか。正解は前者だろうが、その医学的知識習得のための努力は司馬遼太郎並で、早朝から起き出して医学文献を読むのが氏の日課だという。しかも氏は医師免許を持ち、放射線治療専門医というから筋金入りだ。でも氏は医師というより、人間心理の読みに長(た)けた文学者である。シェイクスピアが人の心の機微を知り尽くし、それらに適切極まりない「言葉」を与える天才であったことを知らない人はいない。近藤誠は医学分野のシェイクスピアだ。つまり、彼は病気に関して全くの素人であるがゆえに揺れ動く患者心理を巧みに読み解き、もう一つの「風景」つまり自分が過去に受けたり、現に受けていたり、これから受けようとしている治療が間違っているのではないかという疑惑に火をつける手順を心得ている。その手法のあざやかさは「オセロ」のイアーゴを髣髴(ほうふつ)とさせる。患者はもちろんオセロその人だ。人体は謎だらけで、ましてやその応用編である「病気」に直面すると、当事者はおたおたし、途方に暮れ、病院を訪れるのが常だ。しかし医師が常に唯一無二の解決策を提供すると思うのは幻想に過ぎず、結果的には間違った、あるいは行き過ぎた対応策を提示することもある。「治療があなたの身体を滅ぼす」という逆説的指摘はその1極点だ。こと身体に関する限り、分からないから、あるいは分からないけど医師の指示だからという理由だけで、提示された治療法を信じ受け入れる滑稽な単純さを結構な知識人でさえ持つことに驚かされる。近藤誠本はその危険性に対する警鐘として批判的に読むのなら意味があろう。新山手病院循環器禁煙外来 沖本孝雄