第10日 6月21日(土)

ケーテンとハレに足を伸ばします


1717~23年、バッハ32~38歳

兵隊より音楽家を欲しがった、ケーテン侯レオポルドの元で宮廷楽長を務める。

△バスの車窓から見る畑は、麦とホップ。ビール畑。

△ケーテン城の入り口

△こんな堀に囲まれている

△お城の入り口

△鏡の間は改修工事中でした。ドアの窓越しに1枚。

 △ケーテンで生まれた「ブランデンブルク協奏曲」の自筆譜のレプリカ。

△レオポルド侯はヨーロッパ各地で様々な楽譜を収集。

バッハにとって、またとない勉強の材料だったに違いない。

△「芸術の国」建設を夢見たレオポルド侯

△「音楽嫌い」のレオポルド侯妃、フリーデリカ・ヘンリエッタ(1702~23)。

なんとなく意地悪そうに見えるのは私の偏見?

△▽1720年、バッハの妻マリア・バルバラが急死。

翌年ソプラノ歌手でもあるアンナ・マグダレーナと、ここ宮廷礼拝堂で結婚式を挙げる。

△城の中庭

 

聖ヤコビ教会(カルヴァン派)

バッハの時代に、ルター派とカルヴァン派の対立は深刻だった。

宮廷はカルヴァン派、レオポルド侯の母はルター派、バッハもルター派だった。

ちょうど、礼拝堂では洗礼式が行われており、オルガンバルコニーのブラスバンドが。

関係者がお祝いで演奏しているのかと思ったが、そうでもないらしい。

ドイツではブラスバンドはオルガンに準ずる扱いで、例えば野外で礼拝をするときや

オルガニストが不在の時は、代わって演奏することもあるらしい。

とはいえ、こちらの演奏は微笑ましい物だったからお祝いかな。

▽聖ヤコブ教会から歩いて数分の所に、バッハ広場がある。

 

聖アグヌス教会(ルター派)

宮廷はカルヴァン派だから、家臣のバッハが勝手にルター派の教会に行くわけにはいかない。

しかし、両者の違いは、政治的問題ばかりでなく、

教義的問題も孕んでおり、バッハにとって大きな悩みだったという。

△カトリックの十字架はイエスが磔にされてるが、プロテスタントの十字架には無い、と一般には言われている。

しかし、ルター派の教会はプロテスタントだが、磔刑のキリストの付いた十字架が用いられている。

ルターは「聖書のみ」という主張を頑強に守ったが、

礼拝形式や、礼拝に使う諸道具を大幅に変えようという考えは無かったようだ。

△「最後の晩餐」にルターが参加

△アグヌス侯妃。息子も扱いに困った。

△19世紀っぽいオルガン

△お茶目です

△バックハウス→バッハハウス→パン屋→バッハ家の祖先は、粉ひき職人。

△ケーテンビールに、真っ赤なトマトスープ。見た目よりは美味しい。

 

 


ハ レ 


ハレと言えばヘンデルの町。

バッハも一旦はこの町の教会のオルガニストになる気になったが、

 条件が整わず、結局ケーテンの宮廷楽長となった。

△ヘンデルの住んだ家がそのまま博物館になっている。

ということは、この家で、子どものヘンデルが走ってコケて泣いたりしてたんだ。

△何故か、出迎えてくれたのはバッハの長男、フリーデマン・バッハ。

パパ・バッハの後押しで聖母教会のオルガニストとなったが、結構活躍し「ハレのバッハ」と呼ばれた。

△幼いヘンデルは、親の目を盗んで真夜中にチェンバロを弾いていて怒られた。

たしか、バッハも夜中に月明かりで兄秘蔵の楽譜を読んで怒られた、との逸話が。

それで、二人とも晩年に失明した。出来すぎ・・・・・

 

聖母教会(現、市場教会)

△シャイトにツァハウにフリーデマン・バッハ。歴史に名を残す音楽家たちが在籍。

 

△▽左の叔父さんがオルガニスト。

祭壇の上の小型のオルガンは、ピッチが高いせいもあるが、

小鳥たちのように華麗にさえずってくれる。

△この教会のオルガニストになることが内定していたバッハだが、条件が折り合わず辞退。

しかし、この大オルガンの修復完成披露演奏はバッハとクーナウが行い、

その後、歴史に残る大御馳走が振る舞われたらしい。

さて、そろそろライプツィヒに戻る時間。

今夜は、ニコライ教会で、ボグウッド指揮、ヘンデル:ブロッケス受難曲を。

その後、聖トーマス教会で、シュ・シャオメイのピアノによるゴールトベルク変奏曲を聴く。 

夜、10時30分の聖トーマス教会に、バッハが冴え冴えと響いていた。