この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば
平安時代(西暦1000年前後)、娘を入内(天皇の嫁)して、
摂政として朝廷を牛耳った藤原道長の詩です。
中学生、高校生の頃、たびたび教科書に出てきては
ボクラに暗記を敷いた歌ともいえます。
藤原と言えば道長、
決してボクの友達の、もう亡くなった藤原衛君ではない、日本史上の有名人です。
ボクでなくともこの歌は思い上がりの貴族が歌った歌と言えなくもありません。
この頃、自らの愛人・紫式部を我が子・彰子の教育係・女御に据え、
漢詩好きの一条天皇のお気に入りにすべく、
時を稼ぎました。まだ彰子は14-15歳。
女性として意識させるには若すぎたようで、
教養としての漢詩教育で一条天皇と仲良くさせようという
道長の考えからでした。
それにしても源氏物語ーー
道長が見ていて、女性の名前を充ててみせたという。
見ようによってはうらせかいの 裏物語。
瀬戸内寂聴先生が現代語訳を書いたのは納得できるような…
瀬戸内先生は、ボクも母も好きな先生です。