646「江戸深川ほおずき日記」ーー⑯ | yu-tyanのブログ

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天狗党は水戸藩士中心に武士出身者が4割、農民その他が6割。

武士出身者が農民に剣術を教えた。

継之助は尊王攘夷の考え方を農民他に教えた。

というか継之助は尊王攘夷よりも、

武家社会の矛盾と自由解放を重視したので、農民などの受けがよかった。

尊王攘夷と言っても、平たく言うと、黒田継之助自身よくわからなかった。

要するに武家の世の中の終わりが近いーーこれだった。

継之助はもともと優愛には武家社会の終わりーーを教え込んでいた。

だからそれを教えるのに何の苦労もない。

農民たちもそのほうが尊王攘夷よりもわかりやすい。

農民がさらに同じ村の農民を連れてくる。

農民はこうして増えた。

             ☆

継之助はいつか優愛に好意を持っていた。

優愛にはじめて会ったのは寺子屋で読み書きを教えたとき。

まだ少女だった。

しかし今は20歳を超えて立派な大人。

寺子屋では先制を務めて、生徒も20人以上を数えた。

いまだに継之助は武家がいかに市民の感覚から離れ、

いまや遠く離れた存在化を教えた。

こんどの体制の地震でも幕府はお得意の徳政令を出したよねーー。

「はい」

ーーあれでは武士は市民からだんだん離れていくんだよ。

なぜって、武士は町人にツケでものを勝って生活しているよね。

「はい」

ーーところが徳政令で幕府は武士を救いにかかった。

ツケは支払わなくていいと。ところが同じ町人同士にはそれをしなかった。

幕府や武士の考え方は昔からそう。もう町人は武士にツケをしてほしくないと思っている。

ところが幕府は逆にそれを罪だと言い張った。商人はイヤイヤツケを容認するしかない。