まず、私の経済感覚から

お話しなくてはなりません。

一般的な多くの日本人の考え方とは違うかもしれないので。

 

私の師は祖母です。

祖母は若い頃、

昼夜関係なく寝る間を惜しんで

男顔負けの仕事をこなしていたそうです。

 

間違ってはいけないのが、ここで祖母が得た対価は

時間に対してのものではなく、結果に対したものであった

という点です。

 

パートやアルバイトが時間を増やして

稼ぐというものとは、同じ労働でも全く違うものです。

私の中に時給や日当で稼ぐという感覚がないのは、

この大きな違いを知っていたからだと思います。

 

仕事に対する「欲」というのは私にとって

働くための理由、エネルギー源となっていて

得られた対価の大小関わらず、

祖母の生き方を重ね合わせて

少し近づけたかな?と

今は亡き大好きな祖母を思い浮かべるんです。

 

祖母は、その自分で稼いだお金を貯金するようなことは

しませんでした。

プラス借金をしてでも土地を買うんです。

亡くなってしまった今となってはノウハウを聞く事ができませんが

祖母が買った土地は、かならず買った時より高く

売れたんだそうです。

人が買わない(買えない)時に買い、

人が欲しくなった(買えるようになったら)ら売る。

 

そこで初めて貯金をするわけです。

買い物も豪快でした。

今私たちが住んでいる物置も祖母が建ててくれたものです。

毛皮に指輪にロレックス、はたから見たら

贅沢三昧の祖母にも、想像を絶する過去の苦労と努力があったことを身内以外は知りません。

 

農家の後継ぎである、私にはよく話をしてくれましたが

他人に自分の苦労話をしているのを見たことはありませんでした。

何かのプライドがあったのでしょう。

 

私は祖母から、お金の貯め方以上に

使い方も教えてもらいました。(見てただけですが)

 

町の自転車屋で買う、国産最上級のママチャリ

大工の建てる家、物置

近所の個人スーパーでの豪快な買い物

車関係は多少高くても身内から。

 

今、大人になって考えると

祖母は事業者にとっていい客だったなという事です。

私にとって、経済を回すという事は

日本や世界を考えるような大きなものではなく、

祖母のような小さなコミュニティの中での

自分や相手にとって意味の感じれる循環です。

 

時代が違うと言われるかもしれませんが、

その時代を作り上げるのは紛れもなく

我々消費者です。

節約志向の脳から、豊かな経済活動が生まれるでしょうか?

 

節約、お金を使わない、ということは

働く側に立った時、売り上げが上がらない

給料が上がらないという事ですよ?

 

過度な節約思考で、本来お金を落とすべき人たちまでが

ため込んでいる可能性がありますし、

対価の価値観を育てる環境、現場が本当に少なくなっていると思います。

 

町の自転車屋が廃業し

自転車はほとんど中国製になり

大工職人の建てる家がなくなり

スーパーは誰が経営してるんだかわからない

大きなスーパーばかりになり

 

人の見えない(要するに誰でもいい)色のないビジネスに

私はウンザリです。

 

そんな祖母が、最後に大事にしていたのは

お金でもなく毛皮のコートでもなく

自分の人生を追った数冊のアルバムでした。

 

人は最後に何を残すかではなく

今まで何をしてきたか、

そして、それを誰に伝えられたかではないでしょうか。