新年一発目の更新になります

皆様、明けまして

おめでとうございます


たぶん初夢になると思いますが

起き抜けに夢というか

ビジョンというか


そういう類いのものを見たので

書こうと思っていた矢先


元旦早々地震が起こり

その後飛行機の衝突

九州での火事など

色々起きたので


ブログを更新するタイミングを

すっかり逃してしまいました


地震で被災した方々には

お悔やみ申し上げます


この寒い中

被災された方々の心細さ

身内を亡くされた方々の

心の痛みを思うと

とても心苦しく思います


新年早々こんなことに

なるとは思わなかった起き抜けに

私が見た夢は、今回はその映像を

思い出すことは出来ませんでした


覚えている部分はひとつの場面のみ


私はある扉を金色の鍵を使って

開けようとしたのですが


その鍵が思った以上にやわで

回した途端に折れてしまって

途方に暮れるという場面です


この夢を見て私が思ったのは

私が扉の向こうに行くのには


従来の考え方をしていては

行けないのでは無いだろうか?

ということです


鍵は折れて、鍵穴を塞いで

しまっています


では、どうやって

その向こうへ?というのが

私の無意識下で起こっている

ことのような気がします


よく考えたら、鍵が金色なのも

気になりますね

その鍵が脆いものであることも


おそらくお金とか

金色が象徴するまばゆいものの

力を借りない方が事は

うまく行くのかも知れません


それらは脆いものだと

無意識のかも私は認識

しているようです


今後試されるのは個々の力で

素のままの個々の状態で

それぞれに健全なる

コミュニケーションを築くことが

今の混乱を生き抜く鍵と

なるのかも知れませんね


地震についてですが

私自身は人工的に起こした

ものであると思っています


飛行機の衝突も

九州の火事も

ある意図のもと起こされた

というのが私の意見です


ですが今日

このような陰謀論に怒りを

爆発させた人のYouTubeを

見てしまいました


その言い分はもっともだと

私も思います


ですがそれでも

あえて言いたいのです


多くの人が

この世界で何が起こっているのか

その概要だけでも知ることで


この世界で

影で好き勝手やっていた

支配者達にはめられていた

首輪を外すことが出来るのですよ


今のような支配状態を

フラットアーサーのひとり

寝起きの考察さんが

「限りなく透明な支配」と

表現していました


「え?日本はキリスト教国家?」

というYouTubeの動画の中でです


その表現はピッタリだなと

私は感じています


我が国は支配されているのに

それに多くの人が正面切って

気付いていないのですから


支配どころか時には

蹂躙されていると言っても良い

ようなことをされていますが


それに気付かず

恐怖の種を日々蒔かれ

毒だらけの食べ物しか

ほぼ手に入らない生活を強いられ


そして奴隷のように

労働につぐ労働…


この状態が普通だと思っている

こと事態がもう洗脳されてる

もしくは完全に無力化されてる

という状態で


そんなきつい日々の中

エンタメやスポーツに熱狂

することは人々の大切な

娯楽であるのですが


それらにも当然ながら

陰謀が絡み、洗脳や色や欲に

まみれており


それを訴えようとしても


たとえただの幻や虚像

だとしても、それらが人々の

心の支えのひとつになっているので


安易にその裏側のことを

語ることは出来ません


安易に語ることは出来ませんが

それらが人々を苦しめるものの

存在と切っても切れない 

ものである以上


真摯な気持ちで

それらを語るしかないと

私は考えています


それらを好きであるということは

とても素敵なことで、私が

そういう気持ちを否定することは

ありません


それでありながら

陰謀は陰謀としてキチンと

認識した方が、人類にとって

確実に良い方へ向かうと

私は思っています


今年は、後がない

この世界を影でコントロール

していた存在の残党が


これでもかと暴れる年に

なるのだと思います


ですが

彼らが意図する程の成果は

おそらく得られないと思います


むしろ彼らの今後の行いが

彼らの意図と真逆の効果を

ジワジワと及ぼしはじめて

いるような気が致します


なので今年はけっして悪い年に

なることは無いと私は思います


最後に

今まで私達が憧れたり

楽しんだりしてきた


誰かがヒーローになる物語を

私は否定しませんし、私もそれを

ワクワクと楽しんで来ましたが


今後はひょっとしたら

全ての人々が個々の特色を

遺憾なく発揮し強く輝き


それらの個性が美しいハーモニーを

描くことの出来る夢のような瞬間が

来るかも知れません


その景色は誰がヒーローだとか

関係ありません


ただただ喜ばしく

美しい時間となるのだと思います


他人と比べて

一喜一憂する時代は

もう後にしませんか?


私達に植え付けられた

過剰な競争心は一朝一夕には

無くなりませんが


それらを否定するというより

次の可能性に心を開く

という感じで、新たな世界を

コツコツ生み出して行きましょう


そうやって

しなやかに、したたかに

生きて行きましょう


それでは今日はこのへんで


では、また。