こんにちは

ワンツー花子です


起き抜けに

不揃いのジャガイモの山を

ビジョンで見て


個性を輝かすと言いますか

存分に発揮しなはれ的な

メッセージのようなものを受け取り


いやまぁね、そうしたいのは

やまやまなんだけどね

と思いながら目が覚めたため


覚え書き程度に

ブログを書いてみることにしました


まぁ、この星での体験というのは

「ザ・制限」とでも言うような

感じのものであって


特に日本では、何かを均一化して

コントロールしやすくする向きも

強いですので


あちこちで個性が

叫ばれるわりには、イマイチ

個性が発揮出来ないのですよね


特に日本人は民族的に

集団としての意思を自然と

尊重してしまうということも

個性が発揮し難い原因に

なっているのかも知れません


自然に協力関係が築ける

その性質はけっして悪いものでは

無いのですけど


それらの長所を大切にした上で

自分の性質を過不足なく見極めて

それを大切にした方が


集団としても、個人としても

気持ち良く過ごして行けるのかな

と感じます


日本では「謙譲の美徳」の精神

があり、謙遜して相手に花を

持たせるのが正しいみたいなのが

あるんですよね


別にそういうのも悪かないけど

相対する人を立てて、他人を

慈しむのも良いんだけど


何も自分を卑下してまで

することはないんじゃないかな?


そんなこんなで、自分を

放ったらかしで、自分を愛せて

いないんじゃないか?

っていう話な訳ですよ


このへんのことでは

特に人を教育する方面で

不満があるんですよね


他人に親切にやら親を大切に

などは教えられても、自分を

愛しましょうとは教えてくれない


そう言うと

いえいえ、ちゃんと自分を大切に

と教えておりますよ?という

声が聞こえて来そうですが


それ、伝わってなくないですか?


ごめんなさいばっかりさせて

自分のあらゆる方面の性質を

愛し、誉めることを


あまり積極的にやって

ないのでは無いですかね?


特に日本の教育は

集団行動に特化し過ぎのような

感じがありますからね


言ってしまえばこの社会の

システムに慣れさせるため


つまりが私がよく叫んでいる

従順な「羊」を養成するために

日本の教育機関はありますからね


教育とは字面でいくと

教え、育てるという意味に

なるのかと思うのですが


教えることに重点が置かれていて

育てる方は行き届いて無いような


個々の先生方の中には

精神面の方もこころ豊かに

育ててあげようと思って

教育にあたっていらっしゃる方も

いらっしゃるかも知れませんが


大方の先生の考えは

いやそれは家庭の仕事でしょ?

と思っていらっしゃる気がします


確かに一番に家族が

育む責任を持っているのは確かですが


本来は子供というのは

社会全体で育んで行くべきもので


きちんと彼らが育つのには

社会の助力、その中でも

教育機関は大きな責任を

持ってしかるべきだと私は思います


とは言うものの

一時期話題になった

「モンスターペアレント」

でしたか?


何かと学校側に

「ウチの子に何してくれるんじゃ」

的な文句を言ってくる方々が

いらっしゃったとかで


いらぬ苦労をされた先生方もいて

それゆえに余計に育てるのは

家庭の役目でしょ?と

言いたくなるのかも知れません


それより前には

校内暴力が問題になった時期も

ありましたしね


教育に携わるというのは

大変なことなのだなと

つくづく思う訳なのですが


そんな、あれやこれやを

つらつら考えて行きますと


やはり今の教育というのは

あくまでも支配する側が

考えたシステムなのだなと

ため息が出ます


まずは社会全体で子供を

育む地盤がこの日本には無い


先生方は、社会で働き蜂として

通用する知識を子供達に詰め込む

カリキュラム通りに教科を

教え込んで行くことが仕事なので


子供達を育むよりは

子供達を上手くコントロールして

教えるのにスムーズな環境を

作って維持し、とにかく

カリキュラム通りに教え込む


それ以外は

本当は支配者達からは

求められていない


本来は心が育ち

自我がしっかりして

人格が育つことが一番で

あるはずなのですよ


それが、支配する側の意図は

子供達を、将来は無事に

便利に使える働き蜂に


又は従順な羊にしたい

ということなので

今のような詰め込み式の

システムに成って居るのですよ


モンスターペアレントや

校内暴力などの問題は


完全にスッキリ解決出来たって

支配者層は喜びません


彼らは不安要素を何とかしようと

私達がさらにバタバタと働くことを

望んでいるからです


こう言ってしまえば

身も蓋も無いですが、不安の種を

蒔くことで、社会をコントロール

してきた支配者層達からしたら


当たり前のことなのだと

私には思えます


前述の自分を愛するという話も

支配者層からしてみれば

あまり都合よくありません


自分を愛していれば

下手な誘導に簡単に乗ることは

無くなってしまい、支配し難い

人格が出来上がってしまうからです


自分を愛せていないとどうなるか

と言いますと、まぁ、ご想像通りで


自分を愛せていないから

他人に自分を愛してもらいたい


他人に愛してもらうには

役に立つ人間にならなければ

いけない


役に立つ人間と思ってもらうには

世間からの評価を努力して

上げていかなければならない・・・


という感じで

周りから尊敬されるために

こうすればいいよ

ああすればいいよ、とまぁ

誘導されやすくなる訳なのです


なので支配者側が本気で

自分を愛するように、子供達を

育む方向へもって行くはずが

無いのですよ


いつも愛されているのか

どこか不安を抱いてくれている方が

コントロールしやすい訳ですから


こんな教育システムですから

自分は愛されてるという自信の

ある方はとても幸運であったと

私は思います


そういう方は

教育システム以外のところで

しっかりと愛を育んで

もらえたのだと思いますよ


とにかく

日本の教育システム自体

がそんな感じですから


個性を育むのが

特に日本ではとても難しい

状況である訳です


私は、個性を発揮できる

環境をつくるには

「違いを尊び、同じくを喜ぶ」

というような精神が大切だと

思っているのですが


一定範囲の価値観での区別を

公平だとして差別を生み

またその差別意識と被差別意識

を利用してコントロールしている

社会ですからねぇ・・・


でも私は思うのです


例えば、今いる環境で

必要とされている能力は

残念ながらあまりないとして


でも自分が持っている性質が

その環境に何らかの形で役に立つ

もしくは実はすでに役に

立っている可能性って

めちゃくちゃあるんじゃないかって


個性というものは

そうやって見い出して

育てるものじゃないですかね


それでこそ

画一的でない豊かな社会が

築けるような気がします


今までの社会が

私達の人格を大切に

育んで来なかった分


私達はこれから

大切に大切に自分育てを

して行きませんかね


そうすることがひいては

これからの社会を育てて

行くことになるかも知れませんね


そんな訳で

昔のドラマみたいなタイトルで

始まった今回のブログ


個性を叫ぶなんて

柄じゃないとは思いましたが

楽しんで頂けたら嬉しいな


では、今回は

このへんにしときますね


では、では