こんにちは

ワンツー花子です


日々、メディアの煽りを

目にする度に、腹が立つやら

あきれるやら


私達はメディアの中毒に

なってしまっていることを

自覚した方が良いように

私には思えます


メディアが起こす風に

自分のコアな望みを見失わせ

無いようにして下さい


溢れかえる情報には

さもそれが私達を何か良い方向へ

行かせてくれるかのように

思わせるものが沢山

含まれておりますが


でもそれが自分の心からの

望みの方向へ本当に

連れて行ってくれるものであるか

少し慎重になる必要が

あるように思います


私が感じるのは情報を信じるより 

自分に降ってわいて来るものを

信頼する方がより自分の本当の

望みの方向への近道に

なるような気がします


自分のもとに来る出来事を

まずは受け止めること


つまり自分自身がどこかの

レベルで引き寄せたという

ことをまず信頼する

必要があるように思います


それから、何故それを自分が

引き寄せたかを考える必要が

あると思います


その時に気を付けなければ

いけないと私が思うのは


その分析に

ジャッジは必要無いので

100%自分に親身な視点で

引き寄せた原因を見極めて

欲しいのですよ


引き寄せる現実でありがちなのは

自分VS対立する何かもしくは

自分にとって厄介な何か

という構造の現実です


こういう現実を引き寄せるのは

おそらく自分と対立する何かを

自分が信じているから

引き寄せるのだと私は思います


何らかの形でそれを信じている


相手方の立場もある意味では

仕方がないと思っているか


社会システムはどうせ

そういう立場を崩さないだろうとか


自分の信念が現実化すると

いうことを、引き寄せている現実が

証明しています


引き寄せた現実はある意味

自分からのプレゼントです


それを少し引いた冷静な視点で

見ることで、自分が何を望み

それを邪魔している自分の中の

敵、つまり信念は何なのか

わかって来るはずなのですよ


その、自分の望みを邪魔している

信念や観念は、本当は動かない

岩などでは無いかも知れません


色々な視点で眺めて、時には

素知らぬふりして誰かに

訪ねて別の視点を教えて

もらってみて下さい


それから現実を引き寄せた時の

自分の望みも点検してみて下さい


その望みのもっと奥に本当の望みが

隠れていないでしょうか?


本当の望みが隠れていたとき

そのコアな望みは、対立している

何かと今の状態で対立するのが

本当にベストなやり方なのかと

自分に問いかけてみましょう


自分の苛立ちを回避したり

自分に快適さを取り戻す

方法は何処かに無いか

考える時間をきちんと自分に

与えてあげましょう


私がすごく残念に思うことは

私達の多くが、自分のために

100%奔走することに

何処かためらいや罪悪感

のようなものを抱きがち

だと思えることです


私達はコントロールする側に

そう思わされて来たのだと思います


なので私達はその「自己中」を

抑制するために対立する構造を

引き寄せてしまうような気がします


ここで注意して欲しいのは

その自分の中の対立構造を

無くすのは難しいと

考えないことです


難しいのではなく

難しいようにされてしまって

いるのだと私は思います


ダークなコントロール側は

私達が現実をクリエイトして

いることに本当の意味で

気づくことを恐れています


そのため湯水のように

情報を与え私達を混乱の渦に

突き落とし続けています


情報があまりにも多すぎれば

どれを信じて良いか解らなく

なってしまう可能性が高いからです


ですが外にある情報を

私達は信じる必要など

本来は無いのです何一つです


雑音が多すぎて

私達は本来備わっている力と

アクセスする時間と空間を

自分に与えられずにいます


本来の自分でいたければ

すべてのメディアが雑音です


それが善意で正当な

ものであってもです


私達はまず自分とこそ

アクセスする必要が

あるはずです


メディアに触れるなら

それに呑み込まれないように

それから信じてしまわないように

心して触れる必要が

あると私は思います


どのような報道や情報にも

様々な角度からの意図が

含まれています


どんなものも見る角度が違えば

違う捉え方が出来るはずで


信じるというより

「そうか」その角度で見れば

そうなのか、というスタンスで

良いのでは無いかと思います


その情報がどの角度で

捉えられたものであるのかを

分析してみるのは今後の

参考になるかも知れませんが


でも私は、多くの情報が

溢れかえっていて、それらの

情報に足を取られて


自分とのアクセスが不十分に

なりがちだということを懸念

しております


これからの時代は

ますます自分とのアクセスが

必要になってくる必要が

あるように感じるのですよ


自分では無いものに流されて

続けていると、変な焦燥感の

ような感覚の奴隷になり続ける

ような気がします


私自身主要メディアには

ほとんど触れてはいないものの


YouTubeなどのメディアなどに

触れる時間を多くとってしまって

いるもので


このままではいかんのでは

無いかと思っているのですよ


どうか皆様

ご自分の意志を大切にして


ハッキリとした意図をもって

逞しく生きて行って下さいね


逞しいだけでなく

ごく軽やかに生きて行きましょうね


囚われず

ごく軽やかにね


それでは今日は

このへんで


では、また。


追伸

これは完全に老婆心なのですが。

私達はメディアの中毒のみならず科学技術を信仰している節があります。

今後、メドベッドや飛ぶ車やフードレプリケーターなどの科学技術が広く一般に開示されるかも知れません。

それらは大いに人類の役に立ち素晴らしいものですが、それに依存して自分本来の力をたのみにするのを忘れないように心がけましょうね?


これは私が自分自身に言ってることですが、依存はコントロールされやすい状況を生み出しますので、科学技術に溺れず

自分本来の力を目覚めさせることを忘れず、自分により注目し、素晴らしい自分を探求する楽しみを、人類全体で共有出来たら良いですね。