日があきましたが「それは胸騒ぎの夜から始まった5」の続きです。

 

 

昨日、父の転院でした。朝9時から兄と病院へ行き、退院はスムーズでした。ただ、次の病院で手こずりました。入院の手続きと父の一連の検査が凄いし(検査室のハシゴと、その後の結果聞き)、父の為に空くはずだったベッドの方が退院できず、結局夕方4時まで病院に費やした。朝っぱらから、いつにない緊張した日を過ごしたのは久しぶりで、めっちゃ疲れました〜。兄も会社を休んで来てて一日中一緒に居たけど、私同様めっちゃ疲れてました。次の日出張なのに可哀想〜

 

前の病院では、必要な物は全てレンタルだったんですが、新しい病院では基本全て持ってくる。飲料水さえ提供されず、着替えや病院セット全て準備し、水まで買って持っていかなきゃいけなくて、そんなこと当日知ったのでその準備も追加でやる始末。

 

前の病院は面会全面禁止だったのに、今度の所は、日祝含め毎日面会は好きに来ていいと言う感じで、そこは助かるかも。。洗濯物を母が取りに行ったり洗ったのを持って行ったりできるし。。いや、母に出来るかどうかは正直、心配ですけどね。出来なければ兄が週末にやると言ってました。

 

また、前の病院では先生に口頭で「胃瘻や人工呼吸などの延命治療はどうしますか?」と聞かれただけだけど、今回は延命治療も3段階に分かれていて書面でした。そしてそれぞれのレベルを詳しく説明され、どれを選ぶか書面で行う物でした。ざっくり言って1:「全てやって欲しい」2:「酸素マスクレベルの事はやって欲しい」3:「一切やらない」って感じ。結局どこまでやるかは前回の病院と一緒で、詳しくどんな事までするかのリストがあるかないかの違いだけかも。。

 

「心臓が止まった場合、心臓マッサージをして蘇生を試みるか?」と言うのがレベル1にだけあり、父の場合やったら肋骨が折れてしまうだろうとも言われ、兄はショックを受けていました。高齢者じゃなくても折れる可能性はある程激しい事。骨がスカスカの骨粗相症の父では当然かなと私は思ったけど、そんな現実を知らなかった様子。

 

父の体重は40kgまで落ち、トイレは一切行けずに完全オムツになっていました。筋力が全体的に落ちたのでしょう。入院すると衰えるの早いですね。上手に飲み込めないので、飲料水すらとろみを付けたものになるそうです。飲み込む練習もリハビリのメニューに入ってるらしい。赤ちゃんでさえそんな事しなくていいのに、歳取ると意外な事に大変ですね。

 

飲み込めなくなって食事が取れなくなって、老衰のパターンだろうと前の病院の先生に言われてたけど、やっぱり胸騒ぎの夜から始まったこの一件は、終わりの始まりかな〜って感じました。本人も私達家族も「十分生きたからもういいモード」で、このまま苦しむ事なく老衰できるなら幸いと思っていて、皆淡々と受け止めてます。

 

ただ、色々衰えていても会う度に母の事だけは気にしていて、自分の事は話さないけど、昨日もやっと話した一言二言も母の事で「明日は婆さんの誕生日だね。」と言ってました。ボケてないビックリマーク

 

母の方は、先日整体に行った時、「私、明日が誕生日なの」と言って、自分の誕生日すら正しく覚えてない感じなんですけどね。

 

昨日も留守番していた母は、父の部屋の服の整理をしていましたが、暖房を入れていて、またそれを付けっぱなしでリビングに戻っていました。私の部屋に来て暖房つけて帰った件は、今でも他人がやったと信じてるし。私と母以外は私の部屋の鍵を持ってないから、母意外にそんな事できる人はいないんですけどね。

 

今やどっちの方が心配かと言うと、絶対に母の方です〜笑い泣き だからこれも終わりの始まりの一部って感じ。あの胸騒ぎは両親の最後の始まりの合図だったんだろうなぁ。。

 

余談ですが、入院の手続きを受付でしていたら、隣で同じく入院の手続きをしている人の会話がどうしても聞こえてしまいました。その人が、「10月からワクチン接種するんですか?絶対に打たないで下さい。」と入院なさる身内の為に言ってました。病院の方も「それは選択できますので。必ず接種ではありません。」と言ってました。私も担当医の先生にそうお願いしたい所ですが、兄が3回打ってるけど何ともないし、テレビで情報得る人なのでいまだにワク信奉者笑い泣き。どのタイミングでお願いしたらいいのか。。スイスに帰る前に担当の看護婦さんにこっそりお願いして行こうかなぁ。

 

しかし、ワク接種云々も堂々と言える雰囲気になったんですねぇ、日本も