このおじいさん、ロシア史専門の歴史家で教授みたいなんですが、面白そうなロシアの歴史や文化に関する本も沢山書いていて、説明が分かりやすくて私は好きです。

 

このおじいさんのチャンネルでは、他にも興味深い話はあるのですが、今回「ウクライナのアイデンティティ」について語っており、私もウクライナ人の事ほぼ知らないので、かなり収穫ありでした。

 

今のウクライナ戦争の理解が深まるかなと思うので紹介したいと思います。

 

 

先日も書いたけど、ウクライナは1991年に建国された新しい国で、過去100年はソ連やナチスドイツの一部。その前の1650年〜1800年代はロシア帝国の一部で、その前はルース族でモンゴルやオスマントルコや色んな所に侵略支配されてただけの感じの人達。

 

ここ30年くらいに新しく出来た国なので、高齢者達がロシアとウクライナを区別しないのは理解できます。ロシアの高齢者はこの戦争を「内戦」と呼んでます。72歳のプーチンの歴史観もそこにあると思われます。

 

民族も言語もスラブ人/スラブ語で、食文化や音楽他の文化的な物も共有してるし、1990年まで同じソ連と言う国だったし、ロシア人は若い人でも小さなロシアとも呼ばれるウクライナを兄弟のように思ってるようです。

 

実際、侵攻が始まった頃、ロシア軍のバンカーに行って10人くらいのロシア兵にアメリカ人(?)が取材するドキュメンタリーがあって見たんですが、兵士の全員が「僕達はウクライナは兄弟だと思ってるから、戦うことになって辛い。僕達は仲良くしたいと思ってる。でも、彼らはそう思ってないから仕方ない」と言ってたのが印象的でした。ほとんどの人がウクライナに親戚や友人が居て、奥さんがウクライナ人と言う人も居ました。

 

そんな感じで、このおじいさん(以降、教授と呼ぶことにします)は、ロシアの歴史家であるけど、ウクライナについても詳しい訳です。

 

教授曰く、現在のウクライナの地域の人達が、初めてウクライナと言う意識を持たされたのは、ソ連時代にソビエト共産党がその地域に「ウクライナ」と言う呼称を復活させ、ウクライナ化と言う政策を施し、ウクライナの自治政府を作りウクライナ語を使うよう奨励した事が最初だそうです。

 
しかし、ウクライナ人と言う自覚というかアイデンティティは薄く、今のウクライナ人達が初めてウクライナ人として心動かされたのは、ステパン・バンデラの登場からだそうです。

 

 

現在のウクライナ人はバンデラをヒーローとして讃えてますが、バンデラの思想は実はネオナチなのだそうです。

 

2021年にバンデラを称え行進するウクライナ人。

 

 

ウクライナ西方は当時ポーランド支配下にあり、ポーランド同化政策を強要されウクライナ語の禁止など、色々と弾圧されてたそうです。バンデラのウクライナを弾圧から解放しようとの呼びかけが、ウクライナ人達に支持されたのが始まり。

 

しかし問題は、バンデラの思想は「ヘイト」が根底にあり、ウクライナを囲む者達を敵視する事でウクライナが自由になれると信じた思想と活動だったそうです。そして誰かを敵にする事でウクライナ人と言うものを結束させようとしたもの。それが、自分達のアイデンティティを探し求めていたウクライナ人の心にめちゃハマったようです。

 

最初はポーランドを憎む事に始まり、次はその地域で商売して儲かってたユダヤ人を迫害(現在のイスラエルのハザールマフィア/偽ユダヤ人達は、元々キエフ出身でキエフをイスラエルの次に故郷と思っているくらい沢山ユダヤ人が活躍してた)。その次のターゲットがロシア人だったそうです。

 

この「ヘイト」が根底にあり、自分達以外は迫害すべきと言う思想がピッタリはまったのが、ナチスドイツの思想。バンデラはポーランドに捕まって終身刑となっていたけど、1939年にポーランド第二共和国が滅亡するとドイツ軍に解放され、ウクライナ人にナチス的思想が支持されるようになったようです。

 

右上矢印当時のウクライナ女性

 

当時のウクライナの垂れ幕には「ドイツ軍万歳ビックリマークウクライナの自由よ万歳ビックリマーク」と書いてあります。

 

 

以下では、バンデラは「スボボダ」と言う政党を率いたと書いてあります。

 

 

一部抜粋:

 

スボボダ党のスローガンである「ウクライナ人のためのウクライナ」はナチスがソ連に侵入した後にヒトラーに協力したステパン・バンデラのOUN-Bのスローガンであった。

 

1943年にはベルリンにいたバンデラの指導の下で、民族浄化、大量殺戮のキャンペーンを行い、7万人のポーランド人とユダヤ人を殺害した。現場責任者はOUN-Bの秘密警察組織のトップであったミコラ・レべドである。

 

バンデラは、1941年のOUN-Bの大会で「戦時の闘争活動」を採択し、その中で「モスクワっ子(ロシア人)、ポーランド人、ユダヤ人は我々に敵対的であり、闘争の中で抹殺されるべきである」と言っている。

 

MI6の歴史について書かれたステファン・ドリルの著作によれば、大戦後1948年4月にステパン・バンデラは英国の諜報機関であるMI6に採用された。その後彼はソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより西ドイツで暗殺されている。

 

ちょっと長くなったので、続きは後編で。。