あ〜、毎日戦争の話で嫌ですね。明日は違う話題ですので。。

 

さて、ウクライナは兵士が枯渇してるので兵役年齢を下げ戦争に行かせようとしてますが、最も最近のウクライナでの統計によると92%が行かないと言ってるそうです。死にに行くような所には行きたくないが理由とか。。キエフ大学教授はぼかした表現してますが、要は勝てない戦争で士気が低いと分析してるようです。行った人達が帰って来ないか戻っても重症なら、いい加減国民もそう思いますよね。

 

 

元CIAのラリー・ジョンソンさんが数日前にウクライナの前線は6月に落ちるだろうと予測してました。誰か別の人は7月とか言ってませんでしたっけ?誰だったか自分で記事書いといて忘れました。左矢印オイオイ

 

以下は今年2月の状態。南の方にギザギザとある緑の線がウクライナ前線。最近は東のKharkiv(ハリコフ)掌握いつつあるようです。露軍は市民をなるべく傷つけないようにと、無駄に弾薬を使わなくて済むように、Kharkivの電力施設を集中的に攻撃し、電力を奪う事で街に住民が住めない状況にして住民を西に移動させてたようです。

 

 

それはニュースで聞いてたけど、以下でその避難の様子のビデオが出てたので、本当に緊迫してるなと思いました。

 

 

ちょっと見にくいですが、高速か主要道路と思われます。中央分離帯?の向こう側は西に向かう道で車は渋滞。この撮影してる車は東に向かって走ってますが、他に誰も東に走る車はありません。それどころか、東に向かう専用の車線にも関わらず、道路の一車線は西に向かう車がどんどんきてますよね?実際上のリンクのビデオの1分過ぎから見てもらったらその様子が見られるので分かりやすいでしょう。

 

 

通常は逆方向の車を走らせるなんて危ない事はあり得ないのですが、そんな事言ってられない緊急事態として使われているそうです。Kharkiv市民達は必死でドニプロ川の西に逃げてるようです。いつも犠牲になるのは市民。お気の毒です。

 

こんな時こそ西側は難民として受け入れるべきですが、そんな事絶対ニュースにも出ないようにしてますね。侵攻が始まった当初のウクライナ人の持ち上げ方とは空々しいほど違うこの対応。ガザもそうですが、西側の政治家達に人権と言う言葉は2度と使って欲しくないものです。

 

たかが一部の大金持ち達が戦争で儲けたいと思うが為に、一体何百万人の人が犠牲になるんでしょうか?

 

ロシアは折を見て南部のドニプロ川の橋を全部爆破し、ウクライナ軍の供給を断ち最終的に南部ドニプロ川をコントロールする作戦だろうとスコット・リッターは分析してました。

 

プーチンはこの川を国境線とするのが良いと判断してるようです(多分、川の南部の部分だけと思うけど。北部はウクライナ系が主っぽい)。先日も書きましたが、元々そこまでがロシアだったのでロシア文化が根付いていて今でも色濃く、そこまでがロシア文化の地域=ロシアと言う認識をプーチンは持ってるからだそうです。

 

以下の地図のようにオデッサも含む南部はほぼロシアの感覚との事。ロシア人の文化の地域と言う目線なら、本当はこの黒い線辺りまでに戻したいでしょうね。

 

 

そもそもウクライナは1991年に建国された新しい国で、過去100年はソ連やナチスドイツの一部。1650年〜1800年代はロシア帝国の一部で、その前はルース族でモンゴルやオスマントルコや色んな所に侵略支配されてただけの感じ。民族的にはロシアと同じだし建国30年の国のアイデンティティは薄い。
 
ちょっと長くなったので、続きは午後の記事にします。オデッサの話と、ついにNATO軍が2方向からウクライナ入りしたようなので、結構重要な動きかなと思います。