いじめで、自殺。

今回、報道されていた札幌でのいじめ問題。

報告書のほとんどが、黒塗り。



つい、数ヶ月前にもいじめで自殺の話しを聞いばかりだ、、。

スーツを着て、メガネをかけたお偉い人達が一同に頭を下げる。

もう、何度この映像を見ただろう?

この人達は、もはや教育者ではなく謝り屋。



謝り屋にも、言い分はあるだろう。

黒塗りだらけの、報告書。

世間一般では、賢くて偉い人達と言われているのに、良い事ではないとわかっているのに、何故やるのか?

なんとなく、答えはわかっているが見ていて命よりも上層部の指示、組織のシステムを優先している事に悲しさを感じる。

加害者の人権を守るため。

仕事をしただけ。


報告書に関わった人に聞いてみたい。

どんな答えがでるだろう?

自分も間違っていると思った。

しかし、上からの命令。

職場のシステムだったから、、。

そんな答えが聞こえてきそうだ。



この人達は、自分の子供が同じ目に遭っても、上の指示、システムだからと言って同じように黒塗りの報告書を作るのだろか?

黒塗りの報告書は、社会の闇を物語っている。


報告書に関わった教育委員会の人は、たぶん元教員が多いだろう。



今回は、いじめ問題から黒塗り報告書を作る偉い人に焦点をあててみた。



今から書く事は、鏡の実際の体験と憶測を混ぜ合わせたものなので、個人的な話しの一つとして読んでもらいたい。

当たり前たが、全ての人がそうではない。

ただ、現実ではそのような人が鏡の目には多く見られる。



いじめ対応が出来ない学校に、その原因の一つがあるように思う。

いじめがある学校は、だいたい連続して起きている事が多い。

また、いじめの多い学校がある市町村は、教育委員会も上手く機能していない事も多い。

そのような学校では、いじめはいつもの風景。

いじめをする生徒に、親自身も手をあましている事が多く、親が子どもの奴隷状態になっている。

そんな事も珍しくない。

先生は、そんな生徒に指導をするが生徒は話しを聞くわけもなく、挙げ句の果て同じ教員から指導が悪いからと陰口を言われる始末。

保護者からクレームが来れば、どんな指導をしたのかと責められので、クレームがこないようにやんわりと優しい指導する。

いじめる生徒は、新たなおもちゃになる生徒を選び再びいじめをする。

繰り返されるが、学校は守ってくれない。

頑張る先生も、いつしかその気力も剥ぎ取られる。

先生は、生徒指導よりも自分の身を守る事に徹するようになる。

そして身を守る事が優先の先生方で、学校は組織され指導はシステム化される。

それが、いつしか当たり前の感覚になるだろう。

当たり前になった先生が、長くいればいるほどその先生は学校内で力を持ち、先導者として転勤してきた先生方に悪しき伝統を伝える。

この学校で上手くやるには、生徒よりも周りの先生方に従順で波風を立てない事。

最初、そんな雰囲気に違和感があってもやっていくうちに、ことわざにあるように、郷に入っては郷に従え。

その精神で従える先生は、問題が多い学校でも上手くやっていける。

しかし、従えない先生は肩身が狭い。

その中には、気持ちの弱い方などは生徒指導に加えて職場との関わりに疲れて心を病んでいく。

また、先生といえど、いじめる人はいる。

先生という立場同士でのいじめは、そのやり方も巧妙で狡猾だ。

そんな先生が、転勤した先も同じような環境であれば同じ事を繰り返し、ある程度の年齢になると偉くなりたい人は校長になり、また教育委員会に行く。


だいたい、上記のような先生が悪しき伝統?を自覚せずに、その感覚を処世術として身に着けたまま校長、教育委員会で肩書きのある偉い人になる。

そして、無自覚で同じ事をその場でもするだろう。

そうなれば、なによりも大切なのは上からの指示であり、上の人が作りあげた組織のシステムだ。

上の指示に従順に従う偉い人が出来上がる。

子供の命より、組織に従う偉い人。

そのような偉い人が、校長や教育委員会には多くいるのではないかと思う。


しかし、このシステムは、いじめ問題に限った事ではないと思う、

黒塗り報告書は、政治問題でも話しを聞くので問題の根本は同じだろう。


みんな同じで、安心。

赤信号、みんなで渡れば怖くない、、、。

昔し流行った言葉を思い出す。



偉い人には、逆らわず言われた事をやれ。

作り上げたシステムに、疑問を持つな。

世の中では、偉い人やシステムに意見は良いが、異論はお断り。

しかし、ひとたび問題が起これば責任は偉い人ではなく、自分が取るのだ。

そのように組織、グループの輪を乱す人、同調できない人は出て行ってもらいましょう。

世間は、そんな流れがある。

  


牧師先生の言葉を思い出す。

死んだ魚は、流される。

生きている魚は、流れに逆らう。

生きている魚=自分の考え、意思を持つ人。



人社会に当てはめると、偉い人の考えや組織が川。

その中を泳いでいる魚が、私達。

どの問題もそうだが、流れに逆らう生きた魚が増えないと、問題解決は難しい。


黒塗り報告書をなくすために、考える。

生きている魚が、話し発言ができる。

生きている魚達で、偉い人の言動を冷静に分析。

組織内でシステム化されて良いもの、悪いものを検討する。

常にチェック、見直し体制が必要だと思う。

特定の人が力を持ち、自分視点で組織内で独裁的な事をしていないか?

また、周りがそれを許していないか?

このチェックが一番難しいが、一番するべき事だと思う。



黒塗りにされた報告書が作成される事がなく、真実がしっかりと書かれた報告書が書かれ、正しい裁きがおこなわれる事を強く願う。