




熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。

中四社 【大斎原(旧社地)鎮座 (左祠)】
忍穂耳命
第五殿 忍穂耳命
天照皇大神様の御子。
天照皇大神様に素盞鳴尊様が天の安河で、邪心の無い事を誓約した時、天照皇大神様の左の髪に付けた勾玉をすすぎ洗ったとき生まれた神様で、天照皇大神様に命じられて豊葦原の瑞穂国(日本) に降臨する準備をされた。
瓊々杵命
第六殿 瓊々杵命
忍穂耳命様の御子。
天照皇大神様に豊葦原の瑞穂国を統治するよう命じられて、父忍穂耳命様にかわって降臨し、国の基礎を築いた神様。
彦穂々出見命
第七殿 彦穂々出見命
身ごもった木花開耶媛命様が、正しく瓊々杵命様の子であると証明する為に、母屋に火をつけ、燃え盛る炎の中で三人の子を産んだ中の末子で、別名火遠理命と申し山幸彦と呼ばれ、兄の海幸彦(火照命)の釣針を無くした事に始まる神話は有名。
鵜葺草葺不合命
第八殿 鵜葺草葺不合命
穂々手見命様が兄の釣り針を探す為に大綿津見神の国へ行った時に結ばれた豊玉毘売命が産気づいたので、産屋を急造したが、屋根に鵜の羽を葺き終わらないうちに産まれたので、鵜葺草葺不合命様と言う名が付いた。 育ての親である母の妹の玉依毘売命と結婚して、四人の子を得たが、四番目の子が神倭伊波礼毘古命で、後の神武天皇である。
下四社 【大斎原(旧社地)鎮座 (左祠)】
軻遇突智命
第九殿 軻遇突智命
火の神
伊邪那美大神様は、火の神軻遇突智命様を生む事により御亡くなりになられた。
埴山姫命
第十殿 埴山姫命
土の神
伊邪那美大神様がお亡くなりになる間際に、生まれた神様
弥都波能売命
第十一殿 弥都波能売命
水の神
伊邪那美大神様がお亡くなりになる間際に、生まれた神様
稚産霊命
第十二殿 稚産霊命
穀物の神・農業の神
伊邪那美大神様がお亡くなりになる間際に、生まれた神様とも、軻遇突智命・埴山姫命二神の御子とも言われる。 伊勢神宮外宮の御祭神豊受大神様は、稚産霊命様の御子神である。













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