toのブログ

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・はじめに

 放送50年アニメの視聴感想文、その2です。ハイジに続きテレビシリーズと劇場版を一気視した(ちょっときつかった)。「宇宙戦艦ヤマト」も1974年の最初のシリーズが放送されて50年が経過した。すぐに映画が制作され、テレビシリーズも2、3と続いた。アニメが市民権を得るきっかけにもなった。今もリメイクされるなど説明不要のビッグネームである。たとえ本編は視ていないとしても、ささきいさおの主題歌は誰もが一度は耳にしているでしょう。

 このように偉そうに書き始めたが、実のところ私は本放送を視聴していない。前番組の「侍ジャイアンツ」は視ていたが、放送終了と同時に迷わず「ハイジ」に乗り換えた。「ヤマト」を視るという発想は全く無かった。沈没した戦艦が空を飛ぶという新番組の予告は当時とても胡散臭く見えた(酷い(-_-))。数年後、ラジオの深夜番組で繰り返しヤマトのテーマ曲が流れてきた。社会現象になり劇場版とその続編が立て続けに公開され。さすがにここまでとなると流行に乗り遅れないようにと言うわけではないが遅ればせながら漫画を手にした。すぐに「これは面白い」と納得し、当時繰り返し流れていた再放送を視た。

 

・不沈戦艦ヤマト

 ストーリーは理屈抜きに面白い。しかし視聴を続けているうちに疑問を持った。敵艦は一撃で簡単に大破するのにヤマトは何発も直撃を受けても大破しない。まるで敵艦は焚き付けのように簡単に発火し爆発するのに対しヤマトは湿気た薪のように直撃が何度当たっても燻るばかりである。まあ簡単に大破するようでは先行き長い物語を成就できないなという事情はあったかもしれない。第1シリーズの早々で敵は反射衛星砲という射程は波動砲よりも短いが威力は勝るという代物を持ち出して、首尾良くヤマトの側面への直撃に成功した。ヤマト大爆発?と思ったら小爆発で踏みとどまった。衛星の反射を繰り返すうちに射程外になったのか?これが‘不沈’戦艦ヤマト、もしくは‘チート’戦艦ヤマトの始まりである。この後もヤマトは重火器の直積を受けても、特攻を受けてもどんな攻撃を受けてもへこたれない。ゴキブリ並の生命力で宇宙を駆け巡る。TV第2シリーズの白色彗星との決戦直前にデスラーの罠にはまって蜂の巣になった時はさすがにヤバいと思われたが・・・大丈夫。TV第3シリーズではその生命力はさらに強化された。第11惑星空域で最初の接敵で例のごとく蜂の巣になっただけでなく敵艦の特攻も受けて横っ腹に大穴が開いた。相応の大爆発を起こしたがそれでも戦闘能力は失われず敵の艦隊を相手に互角以上の戦いを展開する。その戦いを切り抜けた後も亜空間魚雷で2度3度蜂の巣になったが壊れない。まさに不死身戦艦ヤマトである。その頑丈さは劇場版でも遺憾なく発揮された。  実際のところその生命力はTVシリーズの比ではない。白色彗星との戦いのラストでヤマトは爆発したと思われたが、「永遠に」では健在であった。後で知ったことだが劇場版第2作「さらば・・・」は今風に言うとパラレルワールドか別の世界線の出来事だったらしい。さらに同作では例によって巨大要塞の攻撃で延々と蜂の巣になったが、究極の打たれ強さを発揮して、波動爆雷3発で巨大要塞を沈めた。極めつけは完結編、ヤマトの最後のシーンである。アクエリアスから水の流入を阻止するために波動砲と水爆の合わせ技で自爆する。通常なら粉々になるどころか超高温で溶けて蒸発するであろう。ところが爆発と同時に真っ二つになり、原形を保って海底に沈んでいった。切ないシーンではあるがその頑丈さは並外れていると再認識させられた。

 

・ヒトも尋常でない生命力

 第1シリーズの最後で森雪は酸欠で死んだと思われていたのに何故か生き返った。デスラーも島も生き返った。爆死した様に見えたテレサも死んでいなかった。生命力は登場人物にも伝染するようである。このように、登場人物の生命力もヤマトに負けず劣らず尋常でない。その詳細は以下の通りである。

1番手の森雪はコスモクリーナーを試運転無しのぶっつけ本番で起動させた。結果、酸欠になり操作席から落ちて転落死(窒息死?)した。ところが悲しみの真っ最中に古代の腕の中で生き返った。周りは諦めモードで特に蘇生措置は施されていなかったと思うが・・・。

2番手はデスラー。「フッフッフッ、ヤマトの諸君。奇跡は二度も起きないのだよ」とお決まりのゼリフを吐いていたが、奇跡の恩恵はデスラーの方が大きかったようである。ガミラス星にヤマトの侵入を許し、乱戦の中、足元が崩れて生き埋めになったと思ったが生きていた。この最初の奇跡を追い風に帰途のヤマトを追撃。ヤマトを補足してデスラー砲を発射。直撃と同時に見事にはじき返されて逆にデスラー艦を直撃。大宇宙のチリとなったかと思われたが、彗星帝国に拾われてその超医学により復活。再びヤマトを追い回すことになる。デスラーが生き返るのだから、島のダメージ程度では生き返るのは普通なのかもしれない。

テレザートと共に爆発したはずのテレサに至っては意味不明である。幽霊なのか?生身なのか?

トリは沖田艦長である。TV第1シリーズとその劇場版総集編でも放射線障害で死亡したはずである。それが完結編で生き返った。自称世界一の名医が死の判定を誤ったと告白した(大丈夫か?酒の飲み過ぎ?)。劇場版「さらば・・・」は主要キャラを含めて大勢死んだ。ヤマトも消えた(はず)。これでは後が続かないと誰かが考えたのか、直後のTV第2シリーズでは死者を極力抑えていた。その結果、シリーズの持続化に成功した。前述のように劇場版「さらば・・・」は今風に言うとやはり別の世界線の出来事なのか。

 

・濃厚なスキンシップ

 ヤマトを視ていてさらに気が付いたことがある。乗組員の乱闘シーンがやたらと多い。艦内だけで無く外の店に繰り出して周りの人々の迷惑を顧みず乱闘騒ぎを起こし破壊の限りを尽くす。内部統制がほとんど機能していないようである。原因の一つに乗組員全員の階級意識が希薄なことにあると思われる。通常このような組織は上下関係が非常に厳しいはずである。一応階級は存在するようだがほとんど顧みられていない。腕力に訴えるのを思いとどまるハードルは無いに等しい。その結果、議論の前に手が出る足が出る。熱い拳と頬の触れあいの後、謎の手打ちとなり、訳のわからない友情の芽生えとなる。このような構造的に不安定な組織であることに加え、ノウキン組織が高難易度の重要ミッションを完遂できたことは奇跡である。そんなヤマトのクルーに地球の運命を任せた司令部(特に長官)の度量の広さに感嘆する。

艦長代理から代理が取れて艦長になってもそのノリは不変である。議論が深まる前に腕力に訴えることは相変わらずである。

 

・安定したパターン

かつてタイムボカンシリーズのストーリーが同じパターンでマンネリとかなんとか言われたことがあったが、ヤマトもストーリーが重厚長大という違いはあるが、勝るとも劣らないパターンを確立していた。まずは地球が正体不明の敵に襲われて危機を迎える。もうダメかというところではるか宇宙の彼方から美女の救いの声が届く(ここは美女でなくてはならない。醜女だったらギャグになってしまう)。その美女はかなりの超能力を有しているようだ。その声を頼りにヤマトは圧倒的な敵の攻撃を退け、声の主にたどり着く。そこで解決の決定打となる支援を受け取り、最終決戦に臨んで勝利を収める。そして支援した美女ははかなく命を散らす。

このように言ってしまうと身も蓋もないが、「強大な敵の攻撃」、「美女」、「勝利」、ここでは触れなかったが「ロマンス」、「友情」と受けるコンテンツの全部盛である。

 

・おわりに

 少し意地悪い感想を述べたが、長年の疑問を吐き出してすっきりした思いである。あまり難しく考えないで視るのが良いと思う。リメイク版が作られている。リメイクオリジナルもある。まだ一部をざっと見しかしていないが、旧作と比べて画が美しくなり洗練された印象である。気が向いたらリメイク版の感想も述べたいと思う。