「娘ちゃんて、いつもAKIちゃんの後ろに
くっついてて。
人見知りと言うか、、、つまらなそうにしてたよね?」
久々に会った知り合いに、
急にそんなことを言われて。
ムッとした。
が、
わたしは笑顔で、お喋りを楽しんだ。
(表情1つで、相手の何がわかると言うの?)
と、思っていた。
わたしは知っている。
娘は、愛嬌を振りまかないし、作らない。
表面には出さないけど、喜怒哀楽が大きいことを。
一見、つまらなそうに見えても
自分の世界観のなかで、存分に楽しんでることを。
そして、
『つまらなそう』にしてても、気にする必要は全くないことも、知っている。
子どもの反応が、◯◯だから
どうしよう、、、と考えて動く。
これを
『反応的なコミュニケーション』と、わたしは名付けます
(この子は反応が鈍いけど、何かは感じてる)
(人見知りと場所見知りも、あるから、逆にどんどん連れ回そう)
(わたしの楽しむ姿を、見せ続けよう)
↑↑↑
先に、どうしたいかを決めておく。
これが重要。
「行きたい?」じゃなくて、
「◯日は、ここに行くからね」
「さぁ、行くよ!」
と、堂々と連れていく。
何をしたくて、何をするのか
はっきりさせて、同行が必要な年齢の時代は
『一緒に行くしかない』を体験させる。
発達段階を、よくよく観察する。
安心して、留守番ができる環境で
年齢であれば、声かけを変える。
「一緒に行く?それともお兄ちゃんと、家にいる?」
「今日の予定は?友達と遊ぶの?それとも、ママと遊びたい?」
年齢や、子どもの発達に合わせた
関わりに変えること。
これポイント
決められない年齢で、選択肢を見せない。
決められる年齢なら、ちゃんと自分で決めさせる。
これを逆にしちゃうと、
メンタルヘルスに問題が起きやすい。
だってね?変じゃない?
決めれない時に、どうしたい?って聞かれたい?
決めたいときに、頭ごなしに指図されたい??
案外やりがちな、落とし穴。
少しづつ、精神的な成長を誘導すること。
焦らずに。
そして、個性を無視しないこと。
「チャーハン食べたい!」
高2の娘は、迷わず言った。
「何が食べたいか、わからない」なんて、言ってたこともある。
そもそも
「お腹空いてるのか、わからない」
なんて言ってたくらいだ。
無表情だけど、それは
「どんな顔して話したらいいか、わからないんだもん」
ってだけで。
いつも逆にね?自然体過ぎるんです
家でも、外でも。
『素』なの。
家で一人のときに、愛想笑いしないでしょ?
わたしは憧れる。
表情作って、武装しなくても、どこでも
『そのまんま』で居る彼女に。
だから、いいのです。
つまらなそーな態度でも。
だって、
そんなままで、誘われたら、いきなり踊っちゃうだよ?盆踊りだって、ラテンなダンスだって!
キレッキレに踊るんだよ?
歌おう!って、誘われたら、歌うんだよ?
すごいじゃないか。
「相手が先に言ってくれると、たたき台になるからね。考えやすくなるんだよね」
娘が休みにやりたいことは、
「ママと温泉行きたい」と言ってくれたから、家族でこんなに楽しく過ごせた。
そして、それは
自分から言わないけど、聞けば何か
言うかも?しれない。
答えても、答えなくて
毎週末に向けて、聞き続けると決めて、
聞き続けたから、言うようになった。
心を開かなくても、聞き続ける。
声をかけるのを、やめない。
反抗期も、お構い無しに続けてたら、、、
いつの間にか、親友に話すような深い心の内を、話してくれるようになってました。
コミュニケーションは、
相手の反応をみてから、決めるんじゃない。
どんな反応をしてきても、こう関わると決めること。
先手なんですよ
相手の心を開くのはね。