雪雲が晴れたある日、米沢を訪れました。
お目当ては、上杉博物館で開催中の『椿貞雄と草土社の画家たち』展です。
草土社の岸田劉生はよく知られていますが、
こちらの画像はウィキペディアより
米沢出身の椿貞雄を知る人はよほどの専門家です。
岸田とともに二人三脚で草土社を運営したのが椿です。
同展ワークシートより
二科会と並び当時注目された草土社ですが、
関東大震災で拠点となる岸田の自宅が崩壊。
同図録より
岸田自身も当時大流行の感染症である結核とその後の腎臓炎などにより、38歳で亡くなります。
草土社の仲間たちの写真を見ると、今でもその辺に居そうな粋な若者たちという感じです。
同図録より
『日本人にとっての油絵とは何なのか』
『日本画』という用語が定着する以前に、対になる『油絵』は当時『油画』といわれ、『日本油画』を目指した画家たち。
関東大震災により草土社は解散し、その多くが梅原龍三郎・椿貞雄率いる春陽会に活動の場を移し、『日本油画』の理想は、西洋からの油彩画の独立を宣言する「独立美術協会」、東洋の美に『日本油画』の根底を見出そうとする梅原龍三郎らの「国画会」に引き継がれていきます。
震災とコロナ…
岸田劉生の苦難は、現在の日本にも通じる災禍を垣間見ることができます。
ちなみに、2009年NHK大河ドラマ『天地人』の舞台は越後・会津・そして米沢です。
戦国時代を生き抜いた上杉景勝と直江兼続。
米沢城址公園内の銅像
岸田と椿を彷彿とさせます。