私の一日は、早朝の朗読から始まります。
「文芸読本 柳田国男」
昭和51年発行
読み進めると、おや?と思われることにたびたび出くわします。
日本人とは何か?
日本人=稲作農耕民
天皇=伊勢神宮
けれども
祖霊信仰≠神道
伊勢神宮≠祖霊信仰
伊勢神宮は天皇家の祖先神ではあっても、我々の祖先神ではない。
なぜ我々は神社に参るのか?
山形県最上郡
柳田国男の根底にあるものは『皇国史観』
天皇=伊勢神宮=神道=神社
天皇=稲作
これに対して
折口信夫や中村哲(あきら)は、日本人の宗教観はそのような単純な構造ではないと。
祖霊信仰はこんにち仏教に統合されているが、
祖霊信仰は仏教以前から各地域・各家々に古来から根付いており、
「神を祀る」とは天皇家の神々を地域の神々と差し替えて、「くに」の支配に利用したものだ、と。
戦前、日本が朝鮮・台湾の人々に神道を強いたのと同様である。
人々の根底にあるものは「ムラ」であり「家」である。
本来日本人には「クニ」の意識は希薄であった。
宮城県宮城郡
私が気づいたこと。
柳田国男は後年、「山人考」「海上の道」など著し、稲作農耕民以外の日本人の多様な人々を紹介し、
「日本人=稲作農耕民」とした学説を自ら批判しています。
欧米においても、人々のコミュニティーはカントリーであり、
それ故に、国とはコミュニティー同士の契約であり、人種が違っても同じ国に属するのにも似ています。
現在の「日本国」が形成されたのは明治以降です。
文明開化、戦後GHQによる占領政策などで、
日本人の日本人たる所以が曖昧にされました。
一方で
著名人・文化人由来の書物からの引用が「真実」のように語られ、
柳田民俗学以前の伝承が失われた今日、
日本人自らの誤解が蔓延します。