1921年(大正10年)

皇太子裕仁はイギリスを訪問します。

イギリス国王ジョージ5世に感銘を受け、

君主たる手本は「君臨すれども統治せず」

民主的な立憲君主の国。

議会制民主主義を学びます。

大正デモクラシー

そして、昭和の議会中心の民主的な政治。

が、これがうまくいきません。

決められない、決まらない政治に国民のうっ憤はたまります。

軍部も苛立ちます。

昭和天皇は失政する田中儀一首相を退陣させますが、

基本「君臨すれども統治せず」

逆に、天皇の優柔不断が仇になります。

 

中学校歴史教科書より「大日本帝国憲法」

 

天皇の理想と国家の仕組みの解離。

軍部は天皇直属の独立した組織です。

立法・行政・司法の制約を受けません。

日本はイギリスのようには行きません。

やがて、軍部が独走し国が滅びます。

明治期日本が手本とした国の形。

ドイツ(プロイセン)。

昭和天皇のあこがれ、イギリス。

国のかたちをつくりかえないままに

天皇の意思は軍部を暴走させます。

昭和天皇の最終的な決断は「戦争終結」

100年の時間を経てもなお、イギリスは日本のお手本です。

 

※ジョージ5世の孫娘がエリザベス2世です。

 愛子天皇が見たいな。