学習指導要領の文言は極めて包括的で、解釈に苦労します。
改訂されるたびに、校内で審議が行われます。
英語かラテン語か、どこかの言語の授業のようです。
語句・送り仮名、「等・など」に幾多の憶測が交錯します。
「新しい学力観」
「生きる力」
「基礎・基本の重視」
「発展的な学習」
…
その時々のキーワードに奔走されます。
裏を返せば、学校教育の具体的な方法は、各学校・授業実施者にゆだねられている、ということです。
文科省の教育方針を、各学校が創意工夫して実践しなさい、ということです。
これを、煩わしいと受け取るか、やりがいと受け取るか。
赴任した学校は田舎にあり、地域とのかかわりが良くも悪くも強く、
市町村合併後も、俺たちの村、俺たちの地域、俺たちの学校、という意識がありました。
「俺たちが育った学校」は、いつでも口出し自由、出入り自由です。
そのかわり、地域の行事には全面参加、協力的で、校庭の草刈り、グラウンドの整備、木々の手入れは知らない間にされています。
教職員の意欲によって、というより、地域の人々のよきおせっかいが特色ある学校に貢献していました。
地域の民生委員が、同窓会長が、協議会長が、児童委員が、駐在所のおまわりさんが、和尚さんが、卒業生が、市の学校教育課や教育委員会職員の肩書よりも、強い影響力をもっていました。
昔ながらの手作業で、用水路の手入れをします。
普段の管理は、稲作委員会のお仕事です。
戦後民主化以前から、行政の基本は地方自治です。