山形県北山村郡楯岡村の旅館「伊勢屋」の帳場に掲げられていた通称、『伊勢屋の鮭』
後に秋田県湯沢市の京野兵右衛門氏の手にわたり、
現在山形県立美術館所蔵。
制作年は1877年?
東北地方にはこの他数点の「鮭図」が発見されています。
油画を描く時の手本とされ、各地で民衆による手習いが行われました。
おまけ
新潟県旧村上藩で始まった塩引きサケ。
殿様に献上する鮭が「腹を切る姿は忍びない」と江戸時代は背開きでした。
頭を上にするのは、乾きにくい頭部の水分を引かせるためですが、村上藩は頭を下にします。
鎌首に縄をかけるのは、首吊りを連想させるからです。
ちなみに現在は腹開きですが、一部をつないでいます。
これも武士の情けですね。
本来川を遡上する鮭はおいしくありません。
海洋の方がはるかに脂がのっています。
そこで工夫されたのが『干す』です。
塩で水分が取れ、干すことでうまみが熟成されます。
村上藩において、世界で初めて鮭の回遊性が発見され、鮭の産卵所が造られました。