1980年代は日本でも「構造主義」がもてはやされた時期でした。カントから始まった個人の『理性』は科学の芽となります。近代の始まりです。しかし、次第に人間はその人の置かれた状況に左右されるのではないか?と疑問が提示されます。レビンの「場の理論」サピア、ウォーフの「言語相対論」など人間関係や文化的環境が個人の理性形成を左右することが分かってきます。
1992年京都で現代作家の荒川修作の「実験展」がありました。きわめて大雑把に言えば『人間の認識は知覚からくる』というものです。身体的感覚は人間を思考へと導きます。
これは『学習』にとって極めて重要なことです。
『言葉』による学習は案外困難なものです。大学生が戦中戦後を本で学んでもよく覚えられませんが、お年寄りはその時代の様子を詳しく語ることができます。体験している人とそうでない人では理解の度合いが違います。
特別支援学級の子にとって「言葉」だけの認識は困難を伴います。具体的な経験が必要です。具体物もしくは半具体物を用いることが鉄則です。
経験は認識を生みます。
これは普通学級の学習においても効果的です。
特別支援には学習のヒントが詰まっています。
2年続けて訪れた尾瀬。
引率は私にとってもよき体験でした。