金美では独特の免許状があります。
教員免許の工芸です。
工芸が学べる学校は芸術高校や美術科を設置している限られた高校で、学芸員なみにあまり使わない免許です。
工芸履修科目の中に『図像学』がありました。ものの見え方を学ぶ学科です。
要は「どう見えるのか」です。ただそれだけのことなのですが、後半はコンピュータ実習でした。
金美では当時1980年代後半としては珍しくコンピュータルームがありました。ドスのMacです。アイコンやウインドウズなどない時代で、よく固まるのでリセットボタンで復旧させます。図像学なのになぜかワープロみたいに文章入力が課題でした。私は『てっせんのさきたる月の夜に…』と平安古文調でSF短編小説をつくりました。
金沢市では都市景観を保全するために橋や公共の建物など早くからコンピュータ画像でシュミレーションします。今では小学生でもできる当たり前のことですが、パソコンが人々に知られていない時代、コンピュータで何ができるのかが模索されていた時期でした。
数年後いまだにワープロさえ普及ぜず、手書き紙ファイルが山済みされる職場で、ワープロを使いこなしコンピュータをたしなむ私は職場で異質でした。同期にはそれがこれからのスタイルとして違和感ないのですが、同じ年齢でも10年学卒暦が違うと全く時代差を感じました。
当時の映画村。金沢にいるときはよく西日本を旅しました。