4年生になると卒業制作が始まります。
大学では人物画の習作です。
他の人はほぼ出てこないので、ほんの数人とモデルさんにポーズのお願いができます。
宮本三郎さんは金美の卒業生です。
彼の色彩豊かで装飾的な裸婦像を、模写的に描きました。
美大生は4年ともなると秋にはこぞって公募展に挑戦します。
その当時人気があったのは独立展でした。
金美は鴨居玲時代から宮本三郎など二紀展が多かったのですが、次第に日展の光風会が主流になりました。小糸源太郎はじめ、村田省三、塗師祥一郎、寺井重蔵、藤森兼明などそうそうたるメンバーです。常に体制に歯向かう学生は反日展の気風です。気概に満ちるのが若者です。が、独立展に人気があったのは図録に入選者全員の作品がカラーで掲載されるからでした。その当時図録掲載は会員だけでした。それもモノクロです。何かに掲載されることは美大生にとって憧れでした。
そして抽象画華やかな時代にあって具象で挑戦できるのが日展と意外にも独立展でした。鳥居敏文など新具象を唱え、フォービスム・シュールレアリスムといった過激な表現は具象の系統でした。
私がまた今までと違う絵を描くんだろうと教授たちは懸念します。
当然です。金太郎あめになりたくありません。
独立展はF130号が入選し、入ってすぐの会場絹谷幸二の真ん前に展示されました。当時としては破格の扱いです。
次卒業制作で、また画風を変えるんじゃないのか。教授たちはさらに懸念します。
けれども今回はアレンジしなおしです。スタイルが気に入っていたことと独立展入選作にまだ改良点があったからです。
卒業制作作品は内灘町町制施行30周年記念として買い上げられ、現在も町営プールエントランスに展示されています。
ドイツの歴史学者シュペングラーの『西洋の没落』から着想を受け、二度の大戦で破壊しつくされ再生しようとするヨーロッパ文明を擬人化しました。ウクライナ戦争が展開される今日、文明は常に創造と破壊を伴うものですね。
内灘町町営プール。まだ工事中でした。