宮城町にも開発の波が押し寄せます。
西風(ならえ)蕃山のすそ野がえぐられ、
愛子(あやし)の里を埋め尽くしました。
自然は災害を巻き起こし、
すべてを破壊しますが、
一番の破壊者は人間ではないのかと思える光景でした。
電柱でできた通称えんぴつ橋が撤去され、
水神の松は切り倒され、
フクジュソウの咲き乱れた河原は埋められ、
きれいなせせらぎに鳥が舞い降り、
ヨシの生い茂ったサイカチ川はコンクリートで固められ、
棚田は分厚い土砂の下に埋められて
カエルの大合唱がぴたりと途絶え、
トンボが姿を消しました。
曲がりくねった不合理な道は
設計図通りの直線に描き替えられました。
里山に点在したのどかな町は姿を消しました。
現在は
『仙台市青葉区下愛子栗生(くりゅう)』
宮城町を知らない人々が
何事もなかったかのように生活しています。
お諏訪様脇の山々が切り崩され、
新しく錦が丘団地ができました。
バイパス工事が始まったころ。
西風蕃山の土が里山を覆いつくしました。
現在の様子。仙台西道路トンネルを抜けるとすぐに青葉城につながります。
伊達政宗の娘五郎八(いろは)姫が住んでいた西舘跡からの眺め。