宮城町には心地よい景観が広がっていました。

なぜ風景が美しいのか?

スケッチするうちに、気が付きました。

ただ自然が目の前に広がっているだけでなく、

人々の暮らしが自然を美しくしている。

畑や田んぼ、民家、納屋、用水路、木々など、人と自然とのかかわり。人が自然に手を加え、利用し、心地よいものにしている。

自然の禍を除け、自然から恩恵を受けている。

自然そのままでは、藪になり、雑菌が充満し、水は汚れ、朽ちたままの木から新芽が伸びません。

自然は人が加わることでより自然としての美しさを増します。

人々は自然科学など知る由もなく、

細菌やウイルスなど考えもつきません。

しかし、それらを知らなくても、『配慮』はできます。

水神を祀り清い水を保ち、山の神を祀っては里山の手入れをしつつも山奥には立ち入りません。

疱瘡神を祀り病気に注意し、愛宕神を祀って火の用心します。

お参りする際は手洗いうがいを欠かしません。

私たちはコンピュータの部品一つ一つを知らなくても、操作はできます。

使い方が分かれば、ブラックボックスはブラックボックスのままでいいのです。

神社のご神体はカラです。

何もありません。

しかし、いるものはそこにあるのです。

農村の景観はまさに自然との調和です。