工場勤務で技術を身に着けたのだから
その方向で、と考えがちですが、
興味や関心が拡散する私は
どの方向に風が吹くか分かりません。
私の風景画の描き始めは、
絵画としての風景画ではなく、
地理や民俗学の記録としての風景画でした。
月山も地形を調べるためであり、
農村風景も人文地誌でした。
後で知るのですが、
『印象派の父』とされるターナーは
英国の学術誌『地誌図』の挿絵画家であり、
幕末明治の高橋由一は
明治期の土木工事の記録画家でした。
民俗学の柳田国男は
本来農政局勤務の役人です。
農政の記録のための聞き書きが
後の民俗学の元です。
そう考えると、
アートから風景画という人もいるのでしょうが、
異なる分野からアプローチした人が
別の専門家になる、あるいは
別の顔に解釈されている人は多いと思います。
むしろその道一筋でない方が
新たな切り口を見出してきたと言えるでしょう。
道はまっすぐでない方がおもしろい。
旧宮城県宮城郡宮城町の稲架掛け。
現在は仙台市青葉区となり、都市化されすっかり違った景観です、