なぜ日本の絵画は大作になったのか?

1970年代、日本の高度経済成長期「大きいことはいいことだ」が大流行。当時二科会の東郷青児は「100号の大作を」と「大作主義」を唱えました。

すると我も我も各美術団体展でも130号、200号さらに300号などの壁面のような大作が主流になり、各団体展作家のステータスシンボルになりました。

それ以前は大きくてもせいぜい60号くらい。

今年92歳を迎えた独立美術の世利さんは、お若かった20代の頃、友人たちとリアカーに作品をつけて都立美術館に運んだといっておられました。

リアカーの荷台は軽トラの荷台より狭く、無理に積んで大きくても100号が限度でしょう。

当時の都立美術館は壁面がそれほど高くなく、100号縦でいいくらいでした。

200号は無理でそんな大きな作品を描く人もいなかったそうです。

現在博物館前のケヤキ林が都立美術館の場所で、今の美術館は当時野球広場で、搬入後は若い芸術家が集まって野球したとか。

話がそれましたが、小さいサイズはそれなりに制作が難しいことも事実です。

が、おうちのちょっとした場所にも飾られるし、何よりも保管が容易です。

また、なにより小さな画面に無限の空間・風景を閉じ込める楽しさがあります。

 

 

 

さて、問題は縁取りをどうするか?

白でペイントしたり、

金箔?とか、いろいろ思案中です。