今月亡くなった穴口選手
井上尚弥選手の前座試合ということでも
注目を浴びた一戦ボクシング

ストップのタイミングが難しい試合で
そのまま帰らぬ人に。

帝拳の辻さん、金沢の田中聖二さんなど
自分がボクシングを始めてからのリング禍も
何試合か思い浮かぶ。

どのくらいリング禍があるのか調べてみると
データが色々出ていた。
リング禍を減らす為に、
グローブが大きくなったり、
ラウンド数が短くなったり、
色々なルール改定が行われてきた。

でも、相手を殴り倒すことを
目的としているスポーツの性質上、
リング禍をゼロにすることは難しい。

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同じく、リング禍で亡くなった
野口ジムの八巻選手を取り上げた
ボクシングマガジンの重田さんの記事。


『ボクシングマガジン編集部で仕事を始めて2年。その間、数えきれないほどの試合を観て、多くの選手や関係者の取材をさせていただいた。そんな中で、どうしても忘れられない、忘れたくないことがある。

2010年2月19日。丸山有二(野口)は嬉し涙を流しながらリングを後にした。ノーランカーで、ここまで8勝9敗と負け越していた丸山は、日本5位を破る大金星を挙げたのだ。

控え室へと向かう彼を、取材するため追いかけた。階下へ続くドアを開けた丸山は、薄暗いその場所でへたり込んで泣いていた。そして、ふらつきながらなんとか降りた階段の先に、同じジムの八巻裕一がいた。

試合用のTシャツ、黒と黄色のストライプのトランクスが、なぜか強く印象に残っている。後に試合を控えていた彼は、トレーナーのミットを打ってアップをしていた。

丸山の顔を見た八巻は手を止めて、
「おめでとう!」
そういって、丸山と抱き合い勝利を讃えた。丸山は泣きながら、ありがとう、頑張って、と応えていた。

それが、私が八巻裕一の声を聞いた、最後。八巻は、試合後に意識を失い病院へ搬送される。急性硬膜下血腫と診断され緊急手術を受けたが、3日後の2月22日、帰らぬ人となった。

リング事故でボクサーの尊い命が失われるたびに、ボクシング界は深い悲しみに包まれる。“二度と事故を起こさぬように”と原因究明につとめ、事故防止の対策が立てられる。ボクサーを取り巻く環境はより良くなり、選手や関係者の安全問題への意識も高くなる。そして、悲しみはいつしか、過去へと流れていくーー。

もうすぐ、2月22日を迎える。私はこの日を忘れない。「おめでとう!」の笑顔も、忘れない。』


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毎年、この時期になると丸山さんが
SNSに八巻選手のことを上げているので、
自然と考えさせられる。

自分が出来ることは、
少しでも打たせない選手を育てること。
それしかない。